ウソを見抜く

フォーブスでは、元CIA捜査官が書いた本の中で、ウソを見抜くやり方を紹介していました。

もし相手が本当に潔白であれば、大抵は会話の最初にはっきりとした言葉で「罪を犯していない」と否定すると言っています。実際には、質問をしてから5秒以内に、此最も重要な手掛かりを口にします。

著者のHoustonさんは、CIAの訓練施設である「The Farm」で、財布の中から40ドルがなくなったという報告があり、現場へ向かいました。実際にはお金を取っていないのに疑われた人は、即座に「お金は取っていません。誰がやったのかも分かりません」とだけ言ったのに対して、犯人はHoustonさんを車が沢山停まっている駐車場に連れて行き、自分の車のトランクに聖書が沢山詰まっているのを見せたので、それで分かったのだそうです。

私たちは、会話の中からウソを見抜こうと考え勝ちですが、話が込み入って来ると見抜くのは益々難しくなります。ウソを吐いているのではないか、と疑っている相手が居る場合は、相手が最初にどんな言動をするかに注目した方が良いという事です。

恐らく、上手なウソ吐き(若しくは、この記事を読んだウソ吐き)は、更に巧妙な手口を使って来る事と思います。過去記事「嘘を見破るには、巧妙な嘘つきの10の特徴を知ろう」(http://www.lifehacker.jp/2010/06/100601howtobealiar.html)を読んで、更に相手のウソを追求するべく用心しておくのが良いでしょう。
http://news.livedoor.com/article/detail/6876411/ から

代用魚

代用魚
色々と拾いました

アマダイ⬅︎キングクリップ
イワシ⬅︎スプラット、ピルチャード
ウナギ⬅︎ヨーロッパウナギ
カワハギ⬅︎ウマヅラハギ
カンパチ⬅︎スギ(クロカンパチ)、シイラ
クエ⬅︎アブラボウズ、マゼランアイナメ
サケ⬅︎カラフトマス(ピンクサーモン、オホーツクサーモン)
シシャモ⬅︎カラフトシシャモ、キュウリウオ
スケトウダラ⬅︎ホキ、メルルーサ
スズキ⬅︎ナイルパーチ
マダイ⬅︎ティラピア(イズミダイ、チカダイ)
タラ⬅︎ギンダラ(ナミアラ、ホクヨウムツ)
ヒラメ⬅︎アカガレイ、カラスガレイ
フグ⬅︎カワハギ、ウマヅラハギ
ブリ、メダイ⬅︎シルバー、シルバーフィッシュ、オキメダイ
マアナゴ⬅︎マルアナゴ、クロアナゴ、ウミヘビ数種
マグロ⬅︎カジキ、アカマンボウ、アロツナス、ガストロ

他に貝類の代用品、甲殻類の代用品多数

忌み数


❮4❯ いち、に、さん…は漢字の古い発音から。4は「死」に通じるので、日本のホテルでは1014等も欠番。

❮6❯ ヨハネ黙示録13章18節には、666が獣の数字として記されているので、欧州では不吉数。

❮9❯ 「苦」に通じるので日本では忌み数とされる事も。漢字文化圏でも北京・朝鮮では発音が異なるので其受け取りは無い。

❮13❯ 13番目の弟子がイエスを売り、磔刑の日が金曜日というのは俗説で「13日の金曜日」は英語圏と独、仏等に限られるが、仏では何故か宝籤の売上が上昇する。伊では「17日の金曜日」であり、スペイン語圏では「13日の火曜日」。「13」が忌み数とされるのは、どうやら、素数なのが原因ではないかと。

❮17❯ ローマ数字で書くと XVII となり、これを並べ替えると VIXI となる。ラテン語で vīxī は、vīvō 「私は生きている」の直説法完了形にあたり、「私は生きることを終えた(私は死んでいる)」という意味になるから伊では広く忌み数とされる事が有る。

他にも沢山有ります。(Wikipedia)

最後のニシン

江差の5月は…
http://www.hokkaido-esashi.jp/modules/sightseeing/content0061.html
最後のニシン

長い間、江差の経済を支えていたニシンも時代が下るにつれ、次第に捕れなくなっていきました。こうなると禁止された大網を使って漁獲量の増大を狙うものもでます。大網の使用がニシンを枯渇させる原因と考える漁民は藩に何度も大網禁止を訴えますが、なかなか守られません。
熊石から上ノ国までの漁民が大勢集まって、大網禁止を藩に直訴する騒ぎや江差地方の漁民が、岩内、古平などの海に出かけ、次々と大網を切る網切り騒ぎも起こりました。明治になると、ニシンの漁獲はいよいよ減り、漁民の暮らしは苦しくなる一方で、このことが檜山騒動を大きくした背景となりました。
長い間、江差の経済を支えてきた近江商人たちも、ニシン漁がふるわなくなると、本拠地である本州へ引き上げていきました。一方、日本最初の開港地となった函館は、北海道開発の拠点として発展を続け、江差から函館へ移っていく商家も多数ありました。
一方、まだ資力あった漁民たちはニシン漁のあった北へ北へと移動を始めました。北に行く資力のない漁民たちは、生活のために漁具を売り払い、出稼ぎに出るまで追いつめられたのです。
こうして江差の浜が無人の浜になろうとした明治41年4月3日。誰もがもう来ることはないだろうと考えていたニシンが、なんと10年ぶりに押し寄せました。しかし、この群来を前にして、江差の浜には漁民がおらず、いても漁具が無く、ただ地団駄を踏みつつ巨万の富が去るのを眺めるしかなかったといいます。
その後、大正2年にもう一度ニシンが姿を見せた後、現在に至るまで、ニシンは完全に幻の魚になってしまいました。

【お問い合わせ先】

〒043-8560 北海道檜山郡江差町字中歌町193-1
江差町役場 追分観光課 観光係
TEL:0139-52-6716
FAX:0139-52-5666

ダム決壊記録


ダム決壊記録
あちこちから集めました

1889年5月31日
 米国ペンシルバニア州ジョーンズタウン市近郊にあるサウスフォークダムは、折からの激しい雨などの影響により 1889年5月31日に決壊し、約2000万トンの水が下流ジョーンズタウン市街に流れこみ2209人の犠牲者が出ました。ギネス記録にもなっています。

1928年3月12日
 セントフランシスダムはアメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス郊外に有ったダムで、建設中であった1928年3月12日に崩壊し 450億リットルが下流域に流れ出し600人以上の犠牲者が出ました。

1943年5月17日
 メーネダム空爆
ドイツのノルトライン=ヴェストファーレン州にある貯水池で、 イギリス空軍第617飛行中隊のダムの破壊を目的とした「チャスタイズ作戦」で 空爆を受け決壊しました。このメーネダム決壊により1579人が亡くなりました。

1944年3月
 嘗ての鮮満国境・鴨緑江の水豊水発電所(発電能力:60万kW)と共に竣工した水豊ダムは米空軍による集中爆撃を受けたが、重力式コンクリートダムの特徴が幸いしダムは決壊せずに今も現役。


1952年12月2日
 フランスのフランスプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域のヴァール県のマルパッセダム・ダムが、 1952年12月2日に大雨の影響でダムが満水となり、ダムの基礎自体が移動し崩壊したため決壊事故となりました。この事故でマルパッセとボゾンの2つの村を濁流が呑み込み、死者421名を出しました。

1959年12月2日
 フランスのヴァール県を流れるレイラン川に造られたマルパッセ・ダムは堤体が完成してから初めての大雨により満水状態になって16時間後の21時13分、左岸の基礎地盤が下流側へ移動して崩壊、ダムが決壊した。高さ40m、時速70kmに達した流水は下流の2つの村(マルパッセとボゾン)を呑み込み、フレジュスを経て海へ到達。死者421名(500名以上の説あり)を出した。

1963年10月9日
 バイオントダム地滑り事故
イタリア北部のヴァイオント川に1960年に作られたアーチダムで、 堤高が262m有り当時は世界一高いアーチダム。1963年10月9日にダムの左岸のトック山が2km以上に渡り地滑りを起こし、2億4000万平方メートル近い土砂がダム内になだれ込み、 その影響でダムに貯水されていた水が津波を起こし、ダムの堤防を乗り越え下流の地域に多くの被害が発生しまし、此事故の影響で、2000~2600人もの犠牲者が出ました。

1975年8月
 蓮娜台風の影響により河南省駐馬店市は連日暴雨の被害に遭い、500年に1度の雨に耐える筈のソ連協力が協力した黄河板橋ダムや石漫灘ダム2基の大規模ダム、竹溝ダム・田崗ダムの2基の中型ダム、58基の小型ダムが数時間の内に次々と決壊し、約 26,000 人が洪水により直接溺死し堤防の決壊により数万人が死傷、その後数十万人が食糧問題や感染病により死亡したとされる。これは現在世界史上最大のダム決壊被害である。

震度6で大崩落

https://www.asagei.com/excerpt/5072  Posted on 2012年4月24日 10:58 から
首都高速「震度6で大崩落」
 首都直下型地震で首都高を襲うのは周期1秒未満の短周期地震波、いわゆる『キラーパルス』。青天井の震度7は無論の事、震度6強でも何が起きるか分らない。
 事実、95年の阪神・淡路大震災では、そのキラーパルスによって、倒れる筈の無い阪神高速の一部が無残にも横倒しになった。
 東京で最大震度5強を記録した東日本大震災では、一連の耐震補強工事が施され筈の首都高で、ジョイント破損10カ所、路面損傷11カ所、トンネル内漏水5カ所、支承(橋桁と橋脚の間の部材)脱落1カ所、トラス部材(トラス橋の構造部材)損傷1カ所、料金所損傷1カ所など、大小合わせて29カ所もの被害が発生した。
 話は60年代に遡る。当時、下請け業者として首都高の建設工事に当たっていた元現場監督が、衝撃的な言葉を口にした。
「俺を含む数人で会食をしていた時の事だ。1人が『首都高で渋滞にハマると、ユラユラ揺れておっかない』と言うと、別の1人が『バカ言うな、首都高は揺れるから壊れないんだ』と応酬した。その遣り取りを聞いていた俺は、『いや、首都高は大きく揺れると間違いなく壊れるぞ』と言ってやったんだよ」
「此処だけの話だが、実は橋脚の型枠に生コンを流し込む際、現場に散乱していた廃材やらガレキやら何やらを一緒にブチ込んだんだ。廃材を処理するにもカネがかかる。大きな板切れなどは、日雇いの作業員に命じて、ツルハシでバラバラにさせ、どんどん投げ入れさせた。生コンを流し込むたびに、手当たり次第という感じだったな。だから、橋脚の中身はスカスカだ。でかい地震が来たら、一発でジ・エンドだよ」
「あの頃はどこの現場でも似たようなことをやっていた。え、首都高はそんなにもろいのかって? 現場監督として実際に首都高を造った俺が言うんだから間違いない」(元現場監督)

建設省OBが続ける。
「橋脚の強度が足りなければ、キラーパルスの揺れによって、橋脚は橋桁もろともに大崩落する。同様に、一部の基礎杭が支持層まで打ち込まれていなければ、沈下する橋脚とそうでない橋脚とによる捻れによって、構造物全体が破壊されてしまう。その結果、首都高を走行中の車が次々と落下、その衝撃で爆発、炎上し、それが更に下道の車列に燃え広がるという大惨事にも成り兼ねない」
 「首都高は長年にわたる酷使で経年劣化が進行し、建設年次の古い路線などは正に重症。路盤を張り替えるため、アスファルトを引き剝がしてみたら、下のコンクリートがボロボロの状態だった――そんな事も有ったと聞いている。今更60年代の粗製乱造の責任を追及してみた所で意味は無い。問題を一気に解決するには造り直しがベストだが、その場合は建設費用の一部を通行料金に転嫁せざるを得ない。安全を取るか、経済を取るか、悩ましい問題だ」
 老朽化した路線の安全性は「待ったなし」の状況にある。
http://www.asagei.com/5072 から

☆   ☆   ☆

 例の爺さんの知人が大阪万博建設工事へ臨時工に出掛け、帰って来てから言うには「あの時造ったビルには入りたく無いね。滅茶苦茶な工事してたからな。阪神大震災では大阪は震度4だから助かったんだぜ」。

ロンドンの警察

ロンドンの警察

2014年 某ブログより
 日本人としてロンドン市内を歩いていて最初に驚いた事は、警官が拳銃を携帯して居なかった事。勿論是は世界的にも有名で、イギリスを訪れる前から頭には有ったが、知識と目撃は大きく異る。実際に拳銃を持って居ない警官を見ると「日本よりも圧倒的に治安の悪いこの国で、大丈夫なのかな」と余計なことを考えて仕舞う。

1994.5.17
 日記に、報道ではロンドンでパトカー12台、警官36人に拳銃を携帯させる事になった。武器非携行を誇って来たスコットランド・ヤードの無念を思う。

 との記載が有ります。大凡の経緯が想像されなくも有りません。要するに時代の要請に抗し切れなく成っての措置でしょう。事実上銃無規制の米国に比べればマシとも思えますが・・・