仰げば尊し


 卒業式シーズンも終わりに近付きましたね。例の爺さんがこんな事を書いた紙切れをポストに突っ込んで行きました。

 仰げば尊し我が師の恩

 昔の訓導には偉い人が多かった。貧乏で弁当を持参出来ない子に、皆に内証で自分の弁当の半分を与え続けたり、教室の騒ぎが鎮まらないとて片腕に持った鞭でもう片方の腕を撃ち乍ら涙した訓導も居た。今の教師には、生徒の冤罪を訂正せずに自殺させる様な輩も居る。

教えの庭にも早幾年(いくとせ)

 俺の婆さんの頃、小学校は4年制だったとか。学歴と家庭運営は別問題だろう。婆さんは炊事・洗濯・掃除・障子張り・裁縫・世間常識・育児・亭主操縦・人付き合い・言葉遣い等、女学校卒業生に引けを取らなかった。俺はバッチ(末っ子)だったので、婆さんには猫可愛がりに可愛がられた。婆っちゃん子は三文安いと謂われるが、何とか自宅を建てる程には働ける人間に育った。

思えばいと(本当に)疾し(とし。早いものだ)此歳月(としつき)

 WW2敗戦以前には、小学校を卒業したら何らかの業に就職する子は珍しくなかった。10年20年の節目に開かれる同窓会に都合で出られない子も珍しくなかった。年月を経てやっと出会えて涙する、嘗ての紅顔の少年少女も珍しくなかった。小学校を卒業して、初歩の分数計算が出来ない子は珍しかった。

今こそ別れめ(〜しましょう)、いざ、さらば

 日本中の学校で3月中・下旬ともなると一斉に「仰げば尊し」が歌われた頃、何の学校を卒業したかに関わらず、卒業生は皆、未知の未来に何らかの希望を託して校門を後にした。
 昨今の大卒生は、就職すると同時に生涯賃金を計算し、胸を膨らませたり、気落ちしてニートに成ったりするそうな。