青い目の人形


青い目の人形

野口雨情作詞 本居長世作曲

青い目をした お人形は アメリカ生まれの セルロイド (註)
日本の港へ 着いたとき 一杯涙を浮かべてた
「私は言葉が解らない 迷い子になったら 何としょう」
優しい日本の 嬢ちゃんよ 仲良く遊んで やっとくれ

 大正13 (1924) 年、排日移民法が成立、日米の対立を懸念したアメリカ人宣教師のシドニー・ギューリック博士(1860年 – 1945年)が主導して、12,739体の全米各地から集められた「青い目の人形」が船便で日本の子供に贈られました。
 返礼として、渋沢栄一を中心とした日本国際児童親善会による呼びかけで、青い目の人形が贈られた幼稚園・小学校の児童から集められた募金を元に製作された「答礼人形」と呼ばれる市松人形58体が同年11月に天洋丸で日本からアメリカ合衆国に贈られました。
 WW2の際、反英米政策により敵性人形として其多くが処分されましたが、処分を忍び難く思った人々が人形を奉安殿備え付けの棚や天井裏、床下、物置、石炭小屋、教員の自宅などに隠し、戦後に発見されました。現存する人形は平成28 (2016) 年5月現在、334体ですが、日米親善と平和を語る資料として大切に保存されています。
 例の爺さんの知人の話。「多分模造品と思いますが、寝かせると目をつむり、起き上がらせると目を開けてママーと泣く人形が、満州の子供達の玩具として普及したのを覚えています」。
 (註) セルロイド (celluloid) は、ニトロセルロースと樟脳などから合成される合成樹脂(硝酸セルロース)の名称である。 歴史上最初の人工の熱可塑性樹脂である。 象牙の代用品として開発され、加熱(大体90℃)で軟化し、成形が簡単であることから嘗て大量に使われた。映画フィルムとか玉突きの玉等各種製品にに多用されたが可燃性が強く、度々火事騒ぎを起こした。Wikipedia等。
 例の爺さんの話。「我ら悪童共はな、薄い鉄板で作った鉛筆のサック(古い!)に細長く刻んだセルロイド を詰めてな、入れ口をペンチで潰してマッチで火をつけたもんだ。すんばらしいロケットでな、3mは飛んだな」。