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昭和新山

 

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 昭和19 (1944) 年6月23日午前8時15分、北海道有珠東山麓壮瞥町麦畑のド真ん中で第1次噴火。8月26日、午後2時20分に第13次大噴火が有り、壮瞥町滝之上地区で、睡眠中の幼児1人が火山灰により窒息死。9月8日、午後4時15分に第14次大噴火し、フカバ (孵化場) 集落で火山弾による火災。5戸が全半焼。10月30日、午後9時30分に第17次大噴火。これを最後に降灰を伴う噴火は収束。12月、溶岩ドームの押上が始まる。翌年9月20日、全活動停止。溶岩ドーム主塔の高さ175m。
 当時はWW2の最中であり、世間の動揺を抑えるために噴火の事実は伏せられました。
 平地に出来上がった新火山噴火の顛末を地元の郵便局長・三松正夫が記録した「ミマツダイヤグラム」は当時の模様を物語る貴重な資料として三松正夫記念館に保存されています。

 噴火予告的中

 平成12 (2000) 年に有珠山の小有珠斜面から噴火。此噴火直前北海道大学有珠火山観測所が144時間以内に噴火すると予告し (当時、岡田弘教授が北海道大学大学院理学研究科附属地震火山研究観測センター所長) その予告から143時間目に噴火したのです。
 火口に近い地域では噴石や地殻変動による家屋の損壊が多発し、洞爺湖温泉小学校は熱泥流に襲われ校舎が損壊、数カ所で地形が変化しました。
 金比羅山火口からは熱泥流が発生し洞爺湖温泉街まで流下、西山川に架かる2つの橋が流失、国道230号は噴火活動等に依って通行不能となった箇所が出ました。
 予告が有ったので、一連の噴火に依る避難者は1.6万人出ましたが、犠牲者は有りませんでした。