屯田兵

 屯田兵は、明治時代に北海道の警備と開拓に当たった兵士と其部隊です。1874年(明治7年)に制度が設けられ、翌年から実施、1904年(明治37年)に廃止されました。
 屯田兵は家族を連れて入地し、入地前に予め用意された家「兵屋」と、未開拓の土地とを割り当てられました。兵屋は一戸建てで村毎に定まった規格で造られました。板壁の柾屋根(薄く割った板で葺いた屋根)の木造建築で、広さは畳敷きの部屋が2部屋、炉を据えた板の間、土間、便所から成り、流し前は板の間或いは土間に置かれました。決して贅沢な間取りではありませんが、当時の一般庶民の住宅よりは良かったと謂われます。尤も、高温多湿の気候に向いた高床式の日本建築故、冬季には寒さで非常な苦痛を強いられました。
 軍事訓練と農事のほかに、道路や水路などの開発工事、街路や特定建物の警備、災害救援に携わりました。又、国内外の様々な作物を育てる試験農場の役目も兼ねました。
 札幌の琴似小学校と山鼻小学校は今年で開校以来139年経ちました。

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納内村(現在の深川市)に建てられた屯田兵屋。札幌市厚別区北海道開拓の村

 

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納内屯田兵屋の内部。壁には制服が掛けられている。