聖徳太子


聖徳太子「伝説」

10人を聞き分けた

日本書紀』と『日本現報善悪霊異記』では、厩戸皇子が人々の請願を聞く機会があり、我先にと口を開いた請願者の数は10人にも上りましたが、皇子は全ての人が発した言葉を漏らさず理解し、的確な答えを返したとか。此話は、当時の優秀な役人は、多言語を解する者が重用された事からの伝説と謂われます。

厩戸皇子名由来

 『ルカ福音書』では、ベツレヘムの宿が混んでいた為に泊まれず、イエスを飼葉桶に寝かせた時、天使が羊飼いに救い主の降誕を告げた為、彼らは幼子イエスを訪れたとの記述が有ります。記紀編纂当時既に中国に伝来していた景教キリスト教ネストリウス派)の福音書の内容などが日本に伝わり、その中から貴種出生譚として聖徳太子伝説に借用された可能性を唱える研究者(久米邦武が代表例)も居ます。

衣服が残る

 片岡山で太子が飢えた人に食べ物を与えましたが其人は死亡し、葬られて数日後復活しましたが、棺の上に衣類が残されただけでした。聖書にも、死後に復活したイエスの墓にも衣類が残されただけだったとの記述が有ります。

祇園

 平安京を造ったのは秦氏ですし「エルサレム」の直訳は「平安の都」です。祇園際は京都八坂神社の祇園際が初めで、之は平安京を造った直後に秦氏が始めました。当時太子と懇意だった秦氏景教教徒だったからの伝説ではないかと。

 又、誕生時に太子は直ぐ「天上天下唯我独尊」と喋ったとされていますが、之は釈迦誕生譚と同じです。

 『日本書紀』が書かれた時代、海外から此様な話が多く渡って来ていた事は判っています。