軍艦行進曲

 1900年(明治33年)に誕生、初演は、同年4月、戦艦富士乗組の軍楽隊によって行われました。1941年(昭和16年年)12月8日の日米開戦時以来、繰り返しラジオから大本営ニュースの前奏で流されたり、戦争ニュース映画の前奏として流されました。

 1951年(昭和26年)春に、東京・有楽町のパチンコ店の拡声器から軍艦行進曲が大音量で流れ出しました。丸の内署の巡査が経営者を米軍憲兵(MP)本部へ連行し、係官にレコードを聴かせたところ「音楽だから問題ない」と了承しました。谷村政次郎は、これが軍艦行進曲がパチンコ店から流れるきっかけに成った様だとしていますが、別なエピソードの主張も有ります。
 21世紀に入ってからは殆どの店が流さなくなりましたが、1980年 (昭和55年) 代迄は何処の店でも流していました。殆どの店が朝鮮系企業であるパチンコ店が何故、軍艦マーチを流していたかは⬆︎の様に謎の侭です。
 現在は自衛隊関連で演奏されていますね。ミャンマー軍では軍艦マーチの曲を流用した軍歌であるミャンマー・ドゥーイェ・タッマドゥ(Myanmar Tot Ya Tatmadaw)を使用しており、軍が運営するテレビ局の朝の開始音楽にも採用されています (Wikipedia 2016/08/15)。

 2005年 (平成17年) には禁止されてる筈の中国広州の幼稚園で知らずに毎朝流していた事が報じられ、話題になりました。
 又、2014年 (平成26年) 6月27日、中国上海市閘北区の震旦外国語幼稚園の卒園式で使用され、園児らが小太鼓を叩きながら軍艦マーチに合わせて舞台で踊ったりしました。担当教員は曲の背景を知らずに偶然インターネット上で見つけ、曲のリズム感を気に入り使用していたと人民網が9月11日に伝えました。区の教育局は緊急会議を開き、園長及び担当教員に対し厳しい処分を決めました。更に関係者に対し愛国教育の強化や政治意識を高める様に指示しました。幼稚園児達は、この曲を非常に気に入っていたと謂います。