同潤会アパート

 1925年(大正14年)8月から同潤会最初の鉄筋コンクリート造りの集合住宅である中之郷アパートの建設が始まりました。以後は同潤会の設計部が中心になって東京・横浜に次々と同潤会アパートを建設しました。
 大塚女子アパートは女性専用アパートとして1930年(昭和5年)5月15日に竣工、6月3日から入居が始まりました。地上5階建て、地下1階、電気・都市ガス・水道・ダストシュート・水洗トイレなど最先端の近代的な設備を備えていました。アパート完成時はエレベーター・食堂・共同浴場・談話室・売店・洗濯室、屋上には音楽室・サンルームなどが完備され、当時最先端の独身職業婦人羨望の居住施設でした。居住者専用の部屋にはミシン、ピアノ、真空管ラジオ、卓球も配備され居住者なら誰でも無料でそれらを使うことが出来ました。家賃は1ヶ月9円50銭~16円(現在の20〜30万円?)で、当時の物価から見れば、かなり家賃が高額なアパートであったにもかかわらず、総数158戸の部屋は募集を開始するとすぐに予約で一杯になったといいます。
 鉄筋コンクリート・アパートの建設は1934年(昭和9年)竣工の江戸川アパートメントで終了しました。
 1941年(昭和16年)に住宅営団が発足し、同潤会は業務を移管して解散、最後迄残っていた三ノ輪は2009年(平成21年)、上野下は2013年(平成25年)に取壊しとなり、全ての同潤会アパートが姿を消しました。
 代官山アパートの部材は都市機構の集合住宅歴史館(八王子市)に移設され、室内が復元されてます。また、青山アパートは表参道ヒルズに東端の1棟が安藤忠雄の設計によって外観が忠実に再現され「同潤館」として商業施設の一部となっています。