顕微鏡

Sさんの満州回顧 顕微鏡
 新京時代に、もう故人に成った叔父が遊びに来て顕微鏡を買って呉れた。紙の繊維が大きく見えたりして面白かった。当時は誰も教えて呉れなかったので知らなかったが、溜まり水や土中の微生物を観察して居たら相当早くから生物学に興味を持っただろう。
 此叔父が当時普通だった木製外箱の並4(真空管4本其他で出来たラジオ)の裏蓋を外して中を見せて呉れた。同じ日に野戦用の電信用電線を見せて呉れたが構造の頑丈さに感じ入った。別な話だが、深海底探査船をケーブルで制御するにはケーブルの自重が利いて探査船の行動が侭ならず、深度が数千mにも成ると之が馬鹿にならない。最近は情報処理用のケーブルに光ファイバーが使える様に成って、事情は余程好転した。
 ラジオの中では小人が居て楽隊を遣ったり喋ったりするのではなく真空管のヒーターが赤く輝いていた。真空管トランジスタの敵では無く、今や真空管は普通には博物館かオーディオ・マニアのアンプ、アマ無線のシャック位でしかでしかお目に掛かれない。
 マグネチック・スピーカーは現在から見れば頗る付きに酷い音質だったが当時はラジオの音はこんなものだと思っていた。今のイヤホンの音質は当時のダイナミック・スピーカーより、ダイナミック・レンジと言い、音質と言い、格段に優れている。技術の発展には瞠目す可きものが有る。
 当時の相撲の中継放送で「○勝○敗」を「○升○杯」と聞き、○升の酒を○杯で呑み干すのかと思っていた。思うに当時から酒飲みの素質が有ったのだろう。
 家に色付き紙フィルムの家庭用映写機があり、動画を楽しんだ。凡そ、当時家にも有った、ポータブル式ゼンマイ手回し蓄音機と同じ大きさで、是と顕微鏡は新京を去る頃には私に分解されて仕舞っていた。普通の男の子は何でも壊す事に興味が有る。此蓄音機はレコードを1枚掛ける毎にゼンマイを巻かねばならなかった。大きい蓄音機でも事情は同じだった様だ。レコードはエボナイトと言う黒い脆い材料で出来て居て壊れ易い代物だったから過って硬い床に落とす等は御法度だった。針は鉄製だったが、レコードの擦り減りを少なくすると言う贅沢には竹製の針を使うのだとは高校に入る迄知らなかった。