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Sさんの満州回顧 水洗トイレ

 今から90年の昔、其社宅では水洗トイレとキッチンが玄関と部屋を結ぶ廊下に沿って別に在り、全戸電気・瓦斯・水道・集中暖房完備で屋外には1坪の広さの煉瓦造りの物置が戸数丈有った。トイレは大小用が個別に有り、手洗いも別に設備されていた。しゃがみ式の大便器の内容を流す為の水槽は目の前の天井近くに在り、用の有る時は長い鎖の先端の握りを引く。此水槽の浮き球の原理は現在最先端の大便器の汚水流しにも使われて居るから優秀な発明の寿命は長いのだと沁々思わせられる。
 寿命と言えば、男は一升五合出すと寿命だと言う話が有る。単純計算では毎日とすれば2年と保たないから嘘だ。序で乍ら、有名な貝原益軒の説は現代医学からすれば真実ではないらしい。
 台所の流しの縁の高さは私には少々高過ぎて洗面する時に腕を洗面器に入れるのに少し困難だった。もっと幼少の頃は顔を拭いて呉れるタオルが熱くて嫌がったものだ。
 此台所で、郊外の河で掬った沢山の生きた小魚をいきなり唐揚げにした物の美味しさが忘れられない。今で謂えば酒の肴に最高である。生き乍ら油で揚げるのは殺生だが、見えない所で殺された牛や豚を喰うのも同じ事だ。菜食主義者も植物の命を喰うのだから大きな事は云えない。ヒトは他の命を喰わなければ生きて行けないし、肉食でも草食でも大方の動物は皆左右だ。シッダルタの悩みの一つも此処に発した。