言葉の不思議

 残飯収集箱の周囲と近くの烏が鳴き交わす声は、会話に聞こえます。
 ヒトの会話もそんな音の交換から始まりました。
 会話の記録に、音節文字と音標文字が使われ、現在の欧米は音標文字で、中国では音節文字が使われます。其中国ではCoca-colaに「可口可楽」と宛て、漢字は音標文字として使われ、Coca-colaの爽快感も表現している英中翻訳の傑作とされます。
 欧米は音標文字を使うと云っても、特定の綴りの認識は漢字の認識機序と似ているらしいのです。音節文字も音標文字も語として認識される時には頭の中で省略発音されており、それが現実の発語に出る場合が有ります。
 カタカナの「ガッデム」が「神様の思し召し」だったりするのです。本当の意味は「神様の思し召し」ではありませんね。
 私の知人が5年間格闘して挫折したアラビア語も、現地の子供は自由自在に話します。   
 外国語習得の経験者は「本当にモノにしたかったら、ネイティヴ家庭に半年滞在すれば間違いなく、日常会話に不自由しなくなる」と言います。
 カナカナ・ひらがな・漢字・欧米其他の原語(看板の縦書きでは上から開始でも下から開始でもOK)・カタカナ外国語・それらを自由に組み合わせ短縮した言葉、縦組みと横組は自由(フーーッ)、を駆使する日本語(にほんご ? にっぽんご ?)・・・外国人には一見、日本語は滅茶苦茶なのだそうです。