Sさんの満州回顧 児玉公園

 家から余り遠くない所に一寸した大きさの児玉公園が在った。又、偶に遊びに行った郊外の動物園には各種動物の檻の他に壮大なバード・ケージも有った。
 児玉公園の正面入り口に日露戦争日本陸軍満州方面軍総参謀長を務めた児玉大将の銅像が建っていた。近年、世界中の銅像酸性雨で腐食が激しく、中でも程度の甚だしい支那が対策費を日本にねだった事が有る。其れには別に文句は無いが、日本から毎年数百億円のODAを受け乍ら毎年国家総予算で2桁%の軍拡を続けたり自分が贔屓する他国に援助をする癖に、日本が国家としては天然自然の自衛力を画然とさせんとすればヒステリックに非難したり、あまつさえ未だに日本に対して数十基のミサイル弾頭を向けて居たりする心性には賛成出来兼ねる。
 此児玉大将の銅像は日本にとっては日露戦争の勝利を記念してのものだが、支那人にとっても不名誉の象徴だったらしく、日本の敗戦後いち早く撤去されたらしい。日露戦争での日本の勝利は西洋白人に対する有色人種の初の勝利として世界を震撼せしめトルコ等を感激させたのだから、此銅像支那人にとって不名誉とは考えられないのだが。ともあれ、日本製の銅像は上野を始めモサッと立って居るのが多いが西洋には勇ましい騎馬姿が多いのは人種或いは環境に依る攻撃性の多寡の所為だろう。歴史的背景も物を言って居る筈だ。
 児玉公園正面入り口の直ぐ右手には500人程度とささやか乍ら観覧席も設けられた野球場があり父に連れられて数回出かけた。当時から野球には余り興味が湧かなかったのが何故か判らない。因みに、団体競技で運動係数が最も小さいのが野球である。最も大きいのはサッカーではないか。日本のサッカーのサポーターにフーリガンが居ないのは、リーグの歴史が短いからか、民族性の違いだろう。
 公園正面入り口の右手奥の左側に冬にはスケートリンクになる瓢箪池が有り、くびれの所に木製の赤い太鼓橋が架かっており、右手前側に飲食や土産の店が何軒か並んでいた。
 池の奥の左手が人工の小さな滝に成って居り、近くの小道を下がると広場が有り小さなメリーゴーランドが有った。
 池のスケートリンクでは春先に氷が薄くなり水中に落ちる人が極く偶に居た。大騒ぎに成ったのを聞かないから浅い池だったのだろう。子供連れのボートも浮かんで居たから精々1m程度の深さしか無かったと思われる。

 児玉公園にも他にも、遊園地や公園には満人の写真屋が居て、四角で赤い木製箱形写真機の両側に既成の写真を何枚も貼り付けて客を誘って居た。客にポーズを取らせてレンズの蓋を掛け声と共にパッと外すが早いか元通りに填めるのが面白かった。