知らしむ可からず

 論語に「民は之に由らしむ可し、之を知らしむ可からず」 というのが有ります。従来は之を一部の日本人は「民は依存させよ、知らせてはならない」と誤訳してきました。本当は「民衆に範を示し、従わせることは可能だが、道理を示し理解させることは難しい」が本義だとか。
 実質的に日露戦争は日本の勝利に終わりました。然し、政府の情報統制により連戦連勝報道がなされ、それを信じた国民が考えていた条件とは大きくかけ離れたポーツマス条約には日本に対するロシアの賠償金支払義務が無かった為、日清戦争と比較にならない程多くの犠牲者や膨大な戦費(対外債務も含む)を支出したにも関わらず、直接的な賠償金が得られませんでした。戦争が継続されれば日本は負ける可能性が高く国民にその内情を伝えればロシアにも情報が漏れる可能性が有る為に日本政府は機密にしていました。国内世論の非難が高まり、東京を始め各地で事件が起こりました。
 日露戦争で実は日本は破産寸前に米国の斡旋で漸く勝利の形を取れたのです。(米国には別に思惑が有りましたが、それは別の機会に)。「知らしむ可からず」の齎す悪例として有名ですが政府は懲りず、大東亜戦争末期の「大本営発表」は余りにもの出鱈目で有名です。