Sさんの満洲回顧 兎狩り

 此学校に居る時に4年生以上の全学年だったと思うが、一度渾河のほとりに兎狩りに行った。「兎追いし~」を経験した事になる。「小鮒釣りし~」の経験は無いが何処かの池にエビ釣りに行った事が有る。細長い、赤白に塗り分けられたセルロイド製の浮きの動きと釣り上げのタイミングで友達同士、蘊蓄を傾けたものだ。
 兎狩りの首尾は覚えていないが河原の所々に頭蓋骨等の白骨が転がって居た。確かに人間の物だったが。日清・日露戦争に関係が有るのか、当時でも珍しくなかった、貧乏で行き倒れた満人の物かは判らない。郊外の何処かに大きな溝が有り、行路病死した満人の死体が捨てられ、夜には野犬が其れを喰って居たと聞いた事が有る。
 骨と言えば、子供の間で陸軍病院という怪談が流行っていた。
 結核の入院患者が夜な夜な起きて近所の墓場に行き墓石をずらして墓を掘り返し結核の特効薬と信じられた白骨を掴み出しガリガリと囓ると言う物だ。骨に限らず、人体の一部を食すると病気に効くと言う迷信は日本丈のものではない様だ。日本の江戸から以前では人間の生き肝を食すると万病に効くと言う迷信が有ったし、未開民族の間では敵・味方を問わず、戦闘に依る英雄の死者の体の一部を食すると其部分の力が増強されると言う迷信が、つい近頃迄残って居た。此種族は食人種と呼ばれたが、腹が減って人間を喰ったのではなく、神聖な行事の一環だったのである。アイヌは腹の足しにクマを喰ったが丁重な感謝の儀式を捧げて居る。昔の日本には労役に使った感謝の念から馬頭観音が彼方此方に有ったものだが、ハンバーガーの好きな若者に限らず、現在に肉を喰う人達の幾人が殺された牛や豚に感謝の念を捧げて居るのだろうか。
 今でも学校の怪談が流行ると言うから時代が変わっても子供の文化は変わらない物らしいが、お化け女の顔はノッペラボーから口裂けに変わる等、部分的な変更は有る様だ。