Sさんの満洲回顧 ラマ寺

 郊外に見られたラマ教寺院の塔の中には男女交合の仏像が在るとて一頻り子供達の間で評判に成った。子供の事で「歓喜仏」の名は知られて居なかった。
 歓喜仏と言えば、此頃と思うが、次の様な歌を聞き覚えた。念の為だが、言葉として覚えたので、意味を知ったのはずっと後年の事である。未だにメロディーも忘れない。

 ♪熱河、承徳良い所
  離宮、ラマ寺、歓喜
  夜な夜な狐が出るそうな
  俺も一、二度騙された

 当時は此「狐」を「王子の狐」並みの本物の狐と思って居た。「白狐」だったのを知ったのは極く最近である。
 歌と言えば、奉天時代に大東亜戦争が始まり、学校でも「轟沈の歌」を始め、沢山の軍歌や国民歌を教えられた。正統派の歌も「見よトウチャンの禿頭~」とか「昨日生まれた豚の子が~」とかも幾つか覚えた。今でも其種の軍歌・国民歌は50曲以上は知って居る筈で、酒を飲めば立ち所に20曲は軽い。今では自慢にも出来ないが。日本では直ぐに禁止された「討匪行」等の短調の軍歌も満州の日本人の子供は平気で歌って居た。勿論、一番人気は「予科練の歌」だった。