日蓮宗

 例の爺さんの知人で爺さんのお父さんと同年輩の彼女は日蓮宗の信者で気の強い人でした。一体に日蓮宗の信者にはお坊さんと一般信者を問わず、気が強いとか体が頑丈な人が多い様に感じられるそうです。日蓮が激しい性格の人間だったから左右なのか如何か知りませんが井上日召の様な激しい気性の弟子も多いらしいんですね。人間は枯れないと仲々悟れないと言うのが本当なら日蓮宗のお坊さんは悟るのに仲々の困難が有るに違い有りません(?)。若しもそうなら、悟れないのが本然と悟るのにも時間が掛かるんでしょうか。尤も、人間が枯れると悟ると言うのは多分見掛けに騙されるので、実際は人間が枯れると、換言すれば精力が尽きて来ると、事実として浮き世の義理に関心が薄く成り果て、其れが年寄りの大成と受け取られるのが本当の所だろうと宗教に縁の無い私には思えます。


 井上日召は昭和7年に五・一五事件に関係し、昭和11年に二・二六事件が有りました。今でも中東から彼方此方でテロが絶えませんが、昭和初頭迄は日本でもテロは珍しく有りませんでした。オペラ「夕鶴」で有名な團伊玖磨父親も日召の血盟団に殺されて居ます。テロは卑怯な手段です。或意味、有効でもあるのが気に入りませんが。アサッシン伝説は伝説ではなく、現在も活動して居る証拠があるそうです。自国内で何をしても自由かも知れませんが、他国に累を及ぼして、例えば文学者を暗殺したり、新聞社にテロを掛ける等は如何かと思います。


 戦前の右翼の一部にもテロを容認する言説を為す者が居たらしいんですが、皇室擁護では一致して居たらしいんですね。一昔前までは右翼らしい人々が街宣車で此処彼処と活躍していましたが、最近はトンと見掛けません。如何したのでしょう。