Sさんの満洲回顧(最終回) 級友

 砂賀と言うチビの丸っこい奴が居て喧嘩が強かった。どうも、ナリの小さくて堅太りの奴の方が一般に喧嘩が強い様な気がする。チビの劣等感が裏返しに成るのか。水膨れや独活の大木は何を遣っても駄目だが。序でに言えば、からかって言われる「馬鹿の大足」に対しては「間抜けの小足」と「大男、総身に知恵が回り兼ね」には「小男はみんな智恵でも知れた物」と言い返せるのである。
 私が4年生の時に6年生の吉岡と言うのが居て下級生を虐めるので腹に据え兼ねて或日其奴と取っ組み合いになり、何かの弾みで其奴が倒れて校舎入り口のコンクリ階段に頭をぶつけて出血して泣き喚き、野郎が先公に御注進と相成り、結果、奴には何のお咎めも無く、私は上級生を尊敬しない廉で職員室で水の入った馬穴を両手に持たされて立たされた。それから損得勘定が働き、喧嘩をしなくなった。

 朝日街二段(「段」は番地と同意)に可愛い女の子の同級生が居て或日彼女の親の留守に何人かとお呼ばれしてホット・ケーキを作ったが巧く行かなくて恥ずかしかった。料理は実行を見て居る丈では駄目で、本でも料理人でも多少の指導を得て練習しなければと思った事である。

 名前は忘れたが左手に小児麻痺の後遺症の有る男子が居て、態と其左手を同級生の首に触れさせ吃驚させて喜んでいた。其左手は麻痺でブラブラして居るし、冷たいので皆、気味悪がった。此奴は其左手に劣等感を持たない様に振る舞って居た丈あって喧嘩は強かった。
 日本では1960年頃から夕張を始めとして小児麻痺の大発生が有り、当時のソ連からワクチンを輸入して大いに助かった事実が有る。ソ連に関して好きな思い出は殆ど無いが、此事実には感謝しても良いと考える。
 今でも街を歩くと、年代を問わず、脚に小児麻痺の後遺症を持つらしき人に偶に出会うが、不便は兎も角、重い荷物を持った時に脚に掛かる負担が気になる。