大雨と渇水

 昭和53〜54年福岡市渇水は、福岡県福岡市で昭和53年5月から翌昭和54年3月まで続きました。昭和52年の夏から翌春にかけての降水量が平年の70%以下となったことが引き金となり水源をダムに頼っていた為に回復が遅れ、287日間に亘って時間指定断水による給水制限が行われました。
 平成6年は日本各地で春から少雨の傾向が続き、梅雨時期の降雨も平年の半分以下で、7月から8月にかけては記録的な高温の日々が続き、西日本から関東地方までの多くの観測点で観測開始以来の最高気温を記録しました。晴天の日々が続き、多くの地域で降水量が平年の30〜70%程度でした。
 このため特に九州北部、瀬戸内海沿岸、東海地方を中心とした各地で上水道の供給が困難となり時間指定断水などの給水制限が実施されました。
 福岡市の断水は昭和53〜54年の渇水を上回る295日間に及びましが、給水時間内の供給は確保され、市水道局への苦情は前回大渇水時の5分の1程度に留まりました。

 今月は九州朝倉市で7月1月分の雨が1日で降ったり、多くの死者・行方不明者が出たりし、北海道では中旬に観測史上始めてという珍しい大雨に見舞われ、其所為で列車が130本以上も運転停止となり、帯広で全国最高気温37.1℃が出ました。そして、荒川水系では取水制限の措置が取られました。
「温暖化」の所為なのでしょうか。