散歩

  犬は好きですが未だに飼ってはいません。飼う為の条件が充分でないからですが、スピッツと狂犬以外とは何時でも気が合います。ドーベルマンブルドッグとは如何成るか判りませんが余り経験し度いと思わないのは故の無い偏見でしょうか。町内の複数の知人の犬とも直ぐに仲良しに成りました。一頃大いに散歩した通り道の公園では運動に連れて来られて居る幾匹かの犬が擦り寄って来たものです。
 散歩と言えば、在社中に不整脈と高血圧と体重超過に成り散歩を始めました。家から会社迄歩いて丁度1時間だったので往路丈の歩行通勤を何年か続けたら膝が痛く成ったので整形外科に行ったら軟骨が磨り減ったのだと言われました。鍛錬すると其れだけ丈夫に成る人も居るでしょうが、私の様に磨り減る人も居るのです。其れで散歩を止めて昼食を止めたら1週間程は目が回りましたが懲りずに続けたら体重が5kg減ったので、其れからも昼食を摂らないのを続けて居ました。休日には家で細君が昼に何か食べさせますが大した事は有りませんでした。然し、或程度減少すると幾ら運動しても体重は其れ以上は減りません。之は生理現象だそうで、同じ精進を続けて居れば一定期間の後に又幾らか減少に向かうんですが、大抵は一端止まった所で絶望して精進を止めるとか。
 磨り減るで連想しましたが、体力や意志の強さも人に依って違います。職業に依っては強固な其れの必要も有りましょうが、其強さは殆ど生まれ付きで決まりますから、弱い人間を差別するのは不条理です。人間の特性は皆違うのであって、長所・短所も皆違います。特定の性情をあげつらうのは自分の墓穴を掘るのと同等でしょう。人間は多様で在るからこそ意外な可能性を秘めて居るのであって、皆が同じ特性を満たさなければならないとするのはロボットを求めるに等しいのではないでしょうか。