最古の神社

http://www.hananoiwaya.jp/
(花の窟(いわや)神社)
神々が眠る日本最古の地・花の窟

花の窟は、神々の母である伊弉冊尊イザナミノミコト)が火神・軻遇突智尊(カグツチノミコト)を産み、灼かれて亡くなった後に葬られた御陵です。平成16年7月に花の窟を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されました。

花窟神社日本書紀にも記されている日本最古の神社と謂われており、古来からの聖地として今に続く信仰は篤く、全国から多くの参拝者がお越しになります。花の窟では年2回、例大祭を行います。神々に舞を奉納し、日本一長いとも謂われております約170mの大綱を岩窟上45m程の高さの御神体から境内南隅の松の御神木に渡します。この「御綱掛け神事」は太古の昔から行われており「三重県無形文化指定」とされています。

是非、神々が眠る日本最古の神社・花窟神社にお越し下さい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E7%AA%9F%E7%A5%9E%E7%A4%BE

日本書紀』(神代巻上)一書には、伊弉冉尊軻遇突智(火の神)の出産時に陰部を焼かれて死に、「紀伊国の熊野の有馬村」に埋葬され、以来近隣の住人たちは、季節の花を供えて伊弉冉尊を祭ったと記されている。当社では、それが当地であると伝え、社名も「花を供えて祀った岩屋」ということによるものである。

神体である巨岩の麓にある「ほと穴」と呼ばれる高さ6m、幅2.5m、深さ50cmほどの大きな窪みがある岩陰が伊弉冉尊の葬地であるとされ、白石を敷き詰めて玉垣で囲んだ拝所が設けられている。一説には、伊弉冉尊を葬った地はおよそ西1.3km先にある産田神社(うぶたじんじゃ)であり、当社はこの火の神である軻遇突智の御陵であるともいう。花窟神社では、伊弉冉尊の拝所の対面にある高さ18mの巨岩が、軻遇突智墓所とされている。

古事記延喜式神名帳に「花窟神社」の名は無く、神社というよりも墓所として認識されていたものとみられる。実際、神社の位格を与えられたのは明治時代のことである。

今日に至るまで社殿は無く、熊野灘に面した高さ約45mの巨岩である磐座(いわくら)が神体である。この巨岩は「陰石」であり、和歌山県新宮市の神倉神社 の神体であるゴトビキ岩は「陽石」であるとして、一対をなすともいわれ、ともに熊野における自然信仰(巨岩信仰・磐座信仰)の姿を今日に伝えている。

2004年、世界遺産紀伊山地の霊場と参詣道」の一部(熊野参詣道伊勢路の一部)として登録された。