イトムカ鉱山(水銀のヤマ)

イトムカ鉱山(水銀のヤマ)は、北海道網走支庁(現・オホーツク総合振興局)管内常呂郡留辺蘂町(現・北見市留辺蘂町)にあった鉱山の事である。良質な水銀が採掘出来る鉱山であった。因みにイトムカとはアイヌ語で「光輝く水」の意味。

1936年(昭和11年)に、良質の辰砂が発見された。1941年(昭和16年)頃から、当時の野村財閥の資本で本格的な採掘が始まる。主要鉱石が自然水銀という世界的にも珍しい鉱山であり(他の水銀鉱山においては辰砂が中心)、採掘機器の熱によって無機水銀中毒を引き起こす恐れのある水銀蒸気が発生したために防毒マスクを着用して採掘した(又、水銀蒸気に対する中和剤として硫黄合剤も坑内に散布された)。重労働による疲労と熱気などから、マスクを外してしまい無機水銀中毒にかかる者も多かったという。

1950年代以降は乾電池・蛍光灯・船底塗料などの材料として増産を開始、採掘が続けられた。水俣病問題を発端とする公害問題で、重要な顧客であったソーダ工業での水銀使用廃止(1973年)などによって、水銀の需要が低下して大規模な人員整理が行なわれ、1974年(昭和49年)に採掘を中止した。

なお、閉山後は多くの坑内労働者が技術者として日本各地のトンネル工事現場に請われ、新調のスーツを着てヤマを降りて行った。

最盛期には人口5,000人を超え、多数の近代的な住宅施設や小・中学校の文教施設、映画館などの娯楽施設が建設された。戦後、イトムカ地区は経営合理化などから次第に縮小し、1970年代にイトムカ地区は消滅、1974年(昭和49年)の閉山後は大町も事実上消滅した。
鉱山としての使命は終えたイトムカであるが、閉山直後から水銀含有廃棄物の処理事業が開始された。現在、日本で唯一の水銀含有廃棄物(電池、蛍光管等)の処理、リサイクル工場として事業所が操業を続けている。また、日本で唯一、水銀地金を生産している精錬所でもあり、生産された水銀は蛍光灯や測量機器向けに再利用される。
(疑問符の付く記述だが、日付現在は修正されていない)

なお、採掘跡地や旧堆積場から出る排水処理も並行して行われている。(Wikipedia 2018.01.24)

水銀の適正管理と排出量の削減を目指して施行規則が平成29年10月1日に施行されましたが
http://www.amita-oshiete.jp/qa/entry/014573.php

それに伴う事業所の現状に就いては一寸調べましたが不明です。
役所に問い合わせたら分るのでしょうが、役所の言い回しには懲りてるので、サボってます。御免なさい!!