言葉狩り

 差別用語禁止とか「言葉狩り」が世界中で猖獗を極めています。
 同じ言葉でも慣用が時代で変わり、同じ時代でも、使われる環境で意味内容が変わるものは珍しく有りません。
 「言葉狩り」は、慣用を自然変化に任せず人工的に変化を強要するものです。
 それに依る矛盾は日本語でも「百姓」「部落」など枚挙に暇が有りません。
 差別語か否かは、言葉其物よりも文脈で、侮蔑か、揶揄いか、親愛か等が解釈される可きで、偶々或文脈で明瞭に差別と読み取れる言葉をどんな文脈でも差別用語だと主張するのは「味噌糞」の誹りを免れません。時代や使用意図の違いを考慮に入れず、偶々現在の或場面で明瞭に差別と読み取れる言葉を全廃すれば、古典文学は全て焚書の憂き目を見るでしょう。
 性別に関する言葉も同様で、男女の区別が必要なもの迄「男女平等に反する」として強引に差別用語と規定するのは文化の破壊に通じます。其問題とLGBTの問題は、全く論議の道筋が違う事を弁える可きでしょう。