骨格標本

http://news.livedoor.com/article/detail/14619301/ から
2018年4月23日 17時0分 =2018/04/23付 西日本新聞夕刊=

 日本人のルーツを語る上で今や定説となっている弥生人の「渡来・混血説」。弥生人骨を分析しその学説を生み出した金関丈夫(かなせきたけお)・元九州大教授(1897~1983)の2人の息子が、学問の発展のため死後は骨格標本にしてほしいと遺言し、2015年11月と今年3月に久留米大医学部に献体された。丈夫氏とその父喜三郎氏の標本も残されており、世界的にも類を見ない3世代4人の標本が揃う事になる。学問に捧げた一家の思いに触れ、後進達は「大きな宿題を与えられた」と背筋を伸ばす。
 人類学者で解剖学者の丈夫氏は、北部九州や山口県西部で出土した弥生人骨が、朝鮮半島の骨に似ている事から、大陸由来の遺伝子が関わっていると主張。東大教授が唱えた、縄文人が形を変えたとする「変形説」との間で60~70年代に論争を巻き起こしたが、丈夫氏の死後、遺伝子解析技術の発展によって正しさが立証された。
 一方で、骨格形成への遺伝的影響は、親子間や兄弟間の資料が少なく、殆ど解明されていない。
 喜三郎氏は、人骨研究に熱中する丈夫氏に「私の骨もお前に遣る」と言い残し、1943年に死去。丈夫氏は教授を務めていた台北帝国大(現国立台湾大)で父を骨格標本にした。更に学会誌に「息子の分も含めて3代の骨格を形質遺伝学の研究資料に」と記し、献体の意思を表明。奈良県で亡くなった後、遺言通り遺族の手で九大に運ばれ、標本と成った。
 息子世代の献体は、九大や佐賀大で教授を務め2015年に89歳で亡くなった解剖学者の長男毅(たけし)氏と、大阪府弥生文化博物館長などを歴任し今年3月に90歳で亡くなった考古学者の次男恕(ひろし)氏。父の専門分野を分ける様に受け継いだ2人は、早くから周囲に献体の意思を伝えていた。
 毅氏の後輩として献体の手筈を整えた十時忠秀・佐賀大名誉教授(75)に依ると、晩年に「私を標本にして呉れる大学を探しておいて欲しい」と何度も念押しされたという。骨格標本を作れる大学は減少し、各地の国立大が断る中、久留米大が倫理委員会に諮って受け入れを表明。手厚く葬りたいと葛藤した家族も、最後は遺志を尊重して送り出したという。
 毅氏の標本は既に完成、恕氏は数年かかる。その後は九大博物館の管理下で、4体一緒に専用室で保管される。
 1991年に喜三郎氏と丈夫氏の標本を調べた形質人類学者の土肥直美・元琉球大准教授(73)によると「❰❰3代続いて標本があり、更に生前の姿や子孫が判明しているのは世界的に例が無い❱❱。金関先生から後輩たちへの、しっかりやれよという激励だ」。
 土肥さんと共同で、今月末から3代の標本調査を始める佐賀大の菊池泰弘講師(45)は「骨は、遺伝要因と環境要因によって形作られるが、どの部位が遺伝し易いか、3代揃うことで明らかに出来る。DNAが抽出出来ればより詳しい骨格形成への影響が解明出来、将来的にも研究の幅を広げてくれる」と話している。

☆   ☆   ☆

今日から又、暫く入院です。