公衆電話

日本の公衆電話

 明治大正と発展を続けた公衆電話は太平洋戦争で都市空襲を受けて壊滅的な被害を受け、戦前全国で5,222台あった公衆電話は昭和20年末には僅か623台に激減した。

赤電話の登場
 正式名称は委託公衆電話。昭和26年に電電公社が商店などに公衆電話の取扱業務を本格的に委託するようになった。10円硬貨の鋳造が開始されたばかりの当時では流通が十分でなく、また設置に多額の投資が必要なボックス式に代わるものとして考案された。店頭公衆電話の第1号は新橋のタバコ屋に設置された。当時は一般的な黒電話機を使用していたが昭和28年から赤電話に順次切り替えられた。

 赤電話が登場すると公衆電話に対する評判が高まり、商店から設置希望が殺到するようになった。設置希望理由には顧客誘致もさることながら、手数料収入、そして電話回線開設が自由に行えなかった時代であり、電話局の費用で赤電話を設置・維持し自家用の代用品に使用するという理由があった。次第に掛け逃げや二度掛け、市外通話の虚偽申告などのトラブルが発生し、電電公社は硬貨投入式の赤電話の開発に着手した。(Wikipedia)
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(Wikipedia)の「歴史」項目では
戦前全国で5,222台あった公衆電話は1945年(昭和20年)末には僅か623台に激減している。
と、在り「公衆電話の施設数」項目では1945年には12.8万台、1984には93.4万台、2015には17.2万台と在る。

1995.03.31の日記
昭和28年登場の赤電話今日限りで全撤去。
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先日、監禁されていた女の子が公衆電話で助けを求め、助かった事例が有り、公衆電話の有用性がひとしきり云々されましたね。

ヤフオク
電話機も色々な種類が有り、 ヤフオクでの1896年に出たデルビル電話機は約1.5万円。意外に安い。