灯台守


喜びも悲しみも幾歳月 (Wikipedia)
1957年に松竹が制作・公開の、全国11カ所の有人灯台を舞台とした、木下惠介監督映画作品

海の安全を守るため、日本各地の辺地に点在する灯台を転々としながら厳しい駐在生活を送る灯台守夫婦の、戦前から戦後に至る25年間を描いた長編ドラマである。

1956年に雑誌掲載された福島県塩屋埼灯台長(当時)田中績(いさお)の妻・きよの手記から題材を得て、木下監督自身が脚本を執筆した。全編にわたりカラー映像で撮影され、単なるホームドラマの枠を超えて日本各地の美しく厳しい風景を活写した大作で、公開当時大ヒット作となり、同年の芸術祭賞を受賞した。

若山彰の歌唱による同名主題歌の「喜びも悲しみも幾歳月」も大ヒットし、後世でも過去の著名なヒット曲としてしばしば紹介されている。
(https://www.youtube.com/watch?v=H9GIqaQ9PVI 参照)

ストーリー

1932年(昭和7年)、新婚早々の灯台守・有沢四郎と妻・有沢きよ子は、四郎の勤務先の観音埼灯台で暮らし始める。北海道の石狩灯台で雪野・光太郎の2人の子を授かり、九州の五島列島の先の女島灯台では夫婦別居も経験する。その後、弾崎灯台で日米開戦を迎え、戦争で多くの同僚を失うなど苦しい時期もあったが、後輩の野津と野津の妻・真砂子に励まされながら勤務を続ける。また、空襲を逃れて東京から疎開してきた一家と親しくなるなど、新たな出会いもあった。

戦後、男木島灯台勤務の時、息子の光太郎が不良とのケンカで刺殺される。が、そうした悲しみを乗り越えた先には喜びも待っていた。御前埼灯台の台長として赴任する途中、戦時中に知り合った疎開一家の長男・進吾と娘の雪野との結婚話がまとまったのだ。御前埼灯台から四郎ときよ子の2人は灯台の灯をともして、新婚の雪野と進吾がエジプトのカイロに向かうために乗り込んだ船を見守る。遠ざかる船を見ながら、四郎ときよ子は「娘を立派に育てあげて本当によかった。灯台職員を続けていて本当によかった」と、感慨深く涙ぐむのだった。

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2006年11月12日、最後の有人灯台であった長崎県沖合女島灯台の自動化が完了し、続く12月5日に無人化も完了。最盛期には1,100人もいたといわれる『灯台守』という職業が日本から消滅しました。
http://www.toudairadio.net/?p=153 から