ダム決壊記録


ダム決壊記録
あちこちから集めました

1889年5月31日
 米国ペンシルバニア州ジョーンズタウン市近郊にあるサウスフォークダムは、折からの激しい雨などの影響により 1889年5月31日に決壊し、約2000万トンの水が下流ジョーンズタウン市街に流れこみ2209人の犠牲者が出ました。ギネス記録にもなっています。

1928年3月12日
 セントフランシスダムはアメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス郊外に有ったダムで、建設中であった1928年3月12日に崩壊し 450億リットルが下流域に流れ出し600人以上の犠牲者が出ました。

1943年5月17日
 メーネダム空爆
ドイツのノルトライン=ヴェストファーレン州にある貯水池で、 イギリス空軍第617飛行中隊のダムの破壊を目的とした「チャスタイズ作戦」で 空爆を受け決壊しました。このメーネダム決壊により1579人が亡くなりました。

1944年3月
 嘗ての鮮満国境・鴨緑江の水豊水発電所(発電能力:60万kW)と共に竣工した水豊ダムは米空軍による集中爆撃を受けたが、重力式コンクリートダムの特徴が幸いしダムは決壊せずに今も現役。


1952年12月2日
 フランスのフランスプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域のヴァール県のマルパッセダム・ダムが、 1952年12月2日に大雨の影響でダムが満水となり、ダムの基礎自体が移動し崩壊したため決壊事故となりました。この事故でマルパッセとボゾンの2つの村を濁流が呑み込み、死者421名を出しました。

1959年12月2日
 フランスのヴァール県を流れるレイラン川に造られたマルパッセ・ダムは堤体が完成してから初めての大雨により満水状態になって16時間後の21時13分、左岸の基礎地盤が下流側へ移動して崩壊、ダムが決壊した。高さ40m、時速70kmに達した流水は下流の2つの村(マルパッセとボゾン)を呑み込み、フレジュスを経て海へ到達。死者421名(500名以上の説あり)を出した。

1963年10月9日
 バイオントダム地滑り事故
イタリア北部のヴァイオント川に1960年に作られたアーチダムで、 堤高が262m有り当時は世界一高いアーチダム。1963年10月9日にダムの左岸のトック山が2km以上に渡り地滑りを起こし、2億4000万平方メートル近い土砂がダム内になだれ込み、 その影響でダムに貯水されていた水が津波を起こし、ダムの堤防を乗り越え下流の地域に多くの被害が発生しまし、此事故の影響で、2000~2600人もの犠牲者が出ました。

1975年8月
 蓮娜台風の影響により河南省駐馬店市は連日暴雨の被害に遭い、500年に1度の雨に耐える筈のソ連協力が協力した黄河板橋ダムや石漫灘ダム2基の大規模ダム、竹溝ダム・田崗ダムの2基の中型ダム、58基の小型ダムが数時間の内に次々と決壊し、約 26,000 人が洪水により直接溺死し堤防の決壊により数万人が死傷、その後数十万人が食糧問題や感染病により死亡したとされる。これは現在世界史上最大のダム決壊被害である。