最後のニシン

江差の5月は…
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最後のニシン

長い間、江差の経済を支えていたニシンも時代が下るにつれ、次第に捕れなくなっていきました。こうなると禁止された大網を使って漁獲量の増大を狙うものもでます。大網の使用がニシンを枯渇させる原因と考える漁民は藩に何度も大網禁止を訴えますが、なかなか守られません。
熊石から上ノ国までの漁民が大勢集まって、大網禁止を藩に直訴する騒ぎや江差地方の漁民が、岩内、古平などの海に出かけ、次々と大網を切る網切り騒ぎも起こりました。明治になると、ニシンの漁獲はいよいよ減り、漁民の暮らしは苦しくなる一方で、このことが檜山騒動を大きくした背景となりました。
長い間、江差の経済を支えてきた近江商人たちも、ニシン漁がふるわなくなると、本拠地である本州へ引き上げていきました。一方、日本最初の開港地となった函館は、北海道開発の拠点として発展を続け、江差から函館へ移っていく商家も多数ありました。
一方、まだ資力あった漁民たちはニシン漁のあった北へ北へと移動を始めました。北に行く資力のない漁民たちは、生活のために漁具を売り払い、出稼ぎに出るまで追いつめられたのです。
こうして江差の浜が無人の浜になろうとした明治41年4月3日。誰もがもう来ることはないだろうと考えていたニシンが、なんと10年ぶりに押し寄せました。しかし、この群来を前にして、江差の浜には漁民がおらず、いても漁具が無く、ただ地団駄を踏みつつ巨万の富が去るのを眺めるしかなかったといいます。
その後、大正2年にもう一度ニシンが姿を見せた後、現在に至るまで、ニシンは完全に幻の魚になってしまいました。

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