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ナイロンザイル事件

事故発生

登山クラブ「三重県岩稜会」に所属する石原國利(当時中央大学4年生で、リーダー)、若山五朗(三重大学1年生)と沢田栄介(三重大学4年生)の3人が北アルプス前穂高岳東壁[1]を登攀中、若山が50cmほど滑落した際、頭上の岩にかけた新品のφ8mmナイロンザイルがショックもなく切断、若山は墜死した。岩稜会がナイロン製ロープを使ったのは初めてで、切れた三本撚りφ8mmのナイロン製ロープはφ11mmのマニラアサ製ロープに匹敵する引っぱり強度があるとされていた製品であった。

関係者の疑念
パーティが下山してみると、1954年(昭和29年)12月28日にも近くの明神岳東壁で東雲山渓会パーティが「確保者にほとんど墜落の衝撃が伝わらなかった」など類似点が多い事故があったと聞き、関係者はロープの強度に疑問を持った[1]。さらに翌1月3日には同じ前穂高岳大阪市立大学山岳部パーティが使ったφ11mmのナイロン製ロープが切断する事故があった[1]。これらの事故でそれぞれ1人が重軽傷を負い、事の重大さが明らかになった[1]。

公開実験

旧制名古屋大学の工学部出身で、死亡した若山五朗の実兄である石岡繁雄は、実験を繰り返し、1トン以上の抗張力があるφ8mmナイロン製ロープが、岩壁登攀時には常に存在する鋭角の岩角にかかり、人間の体重程度の重量で引っ張られると、簡単に切断することを突き止めた。

一方、ロープメーカーの東京製綱は、大阪大学工学部教授で日本山岳会関西支部長の篠田軍治の指導により、1955年4月29日、東京製綱蒲郡工場(愛知県蒲郡市)において、山岳関係者・新聞記者らの集まった中で公開実験をした。公開実験前、篠田はロープの原糸メーカーの研究室での実験で、φ8mmナイロン製ロープがφ12mmのマニラアサ製ロープに比して鋭角の岩角では20分の1の強さしかないというデータを得て、石岡にも「ナイロンザイルは岩角で切断する。公開実験でもそうなるだろう」と言明した。

❮❮❮しかし公開実験の際に、参観者には知らせずに90度の岩角に1mm、45度の岩角には2mmの丸みをつけ[1]て実験を行った結果、ナイロン製ロープは麻製ロープに比べて数倍も強いという誤りの結果が得られ、そのように報道がなされた。この公開実験以後「岩稜会は自分たちのミスをナイロンザイルのせいにした」という記事が山岳雑誌・化学学会誌で報じられた。❯❯❯

岩稜会側は篠田を名誉毀損罪で1956年(昭和31年)6月告訴(約1年後に不起訴処分)、その約1ヵ月後に岩稜会は310頁のガリ版刷り冊子『ナイロン・ザイル事件』を150部作成、山岳関係者や出版社などに送り、この問題を訴えた。この冊子の存在を知った井上靖は、石岡やパーティの石原國利らから取材して『氷壁』を書き、1956年11月下旬から翌年8月下旬にかけて270回にわたり朝日新聞に連載した。

日本山岳会は1956年版『山日記』に、蒲郡での偽りの公開実験のデータを基にしたナイロン製ロープの強度に関する篠田の記述(10m垂れ下がったロープの一端に人が結ばれているとして、マニラアサ製では3mの高さから落とせば切れる恐れがあるが、ナイロンでは13mまでもつ、など)を掲載した。

岩稜会は「これらの記述は、登山者の生命を危険にさらすことになるので、訂正するべきである。岩角でのナイロンザイルの弱点を明白に認めないと、安全対策は生まれない」との立場から日本山岳会・山岳関係者に問題を提起、訴えを続けたが、日本山岳会からは無視され続けた。

その後もナイロン製ロープの切断事故は相次ぎ、特に1970年6月14日には奥多摩の越沢と利根川源流の高倉山で同日に2件の切断墜落事故が発生している[1]。

法律制定へ

1973年(昭和48年)[1]6月、ようやく岩稜会の長年にわたる主張が認められ、消費生活用製品安全法が制定された際にクライミングロープも対象となった[1]。これによってクライミングロープはφ9mm以上とされ、φ8mmのロープはダブル(二重)にして使用しても補助ロープとしてみなされ登山用としては認められないものとなった[1]。1975年(昭和50年)6月にはクライミングロープの安全基準が公布され、世界で初めてのクライミングロープの安全基準が日本にできた。

岩稜会員がナイロン製ロープ切断で死亡してから同法ができるまで ❮❮❮ 20年間 ❯❯❯ 、通商産業省(現経済産業省)調べで判明しているだけで20人を超える登山者がロープ切断で死亡している。同法施行後、ナイロン製ロープの切断による死者はなくなったといわれている。