李承晩ライン

 ラインが廃止されるまでの13年間に、韓国による日本人抑留者は3,929人、拿捕された船舶数は328隻、死傷者は44人。35年間の日本の朝鮮統治に対する〝報復〟が東シナ海の海上で行われていました。昭和50年代後半から、北海道や西日本の沿岸漁業者は韓国漁船の操業に悩まされる事になります。
 「韓国警備艇というのは無茶苦茶でしたね。拿捕された時は、本当に情けなくなりました。海賊船以上ですわ。だって国を守り正義を尽くさねばならない警備艇がですよ、
僕らの船にパッと横付けして、目を覚ませば、僕らの草履は無いわ、もう茶碗、食器類、全部無いんですから。ただ寝具が残っていただけですから。あれには、僕は往生しました」=金毘羅丸乗組員。30年11月25日に対馬南方で拿捕(『山口県史資料編現代二』平成12年)。
 朴正煕政権は、竹島の領有権についての紛争を棚上げにすることで日韓基本条約の締結が成し得ると判断した所で、その関係協定の1つである日韓漁業協定を締結しました。この日韓漁業協定が締結された1965年(昭和40年)6月22日以降、相矛盾する李承晩ラインは自動的に無効・廃止とされました。
 李承晩ライン問題に依って、日本人の韓国に対する否定的評価は確実に増したのです。