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スローガン

 昔は年に数度、定期的に10人前後の団扇太鼓の信者が隊列を組んで歩きました。幼い頃の事とて何かの宗教だ位の認識も有りませんでしたが、リズミカルな太鼓の音と、今では其れと判りますが「南無妙法蓮華経」の合唱を面白く聞きました。序で乍ら、創価学会員の何かの折りの団体的「南無妙法蓮華経」の合唱には団体ならではの迫力が有ります。信者でなくとも圧倒されます。「ハイル・ヒットラー」みたいな物と謂えば叱られるかな。団体でスローガンを唱える時、人は大いに仲間意識を自覚します。ヒトは社会的動物だから何かの団体に属して居ないと安心出来ません。創価学会も合唱団も同人雑誌も社畜も其点では同じ (?)。
 ヒットラーは糞味噌に言われますが彼の持つ危険性を大衆の何%が気付いて居たかは甚だ疑問です。日本の大政翼賛会だって此頃の「ハイル・ヒットラー」と変わりは有りません。大衆を頭のない巨大芋虫に喩え、何処に行くか判らないとした西洋人の哲学者だか文学者だかが居ます。大衆は怒るかも知れませんが民主主義が衆愚主義に陥る危険性は多くの日本人学者だって大声で唱えたものです。チャーチルも何か言ってました。
 民主主義には投票が付き物ですが、棄権も有ります。棄権者は色々と理屈を付けますが理由には成りません。理想の候補者等居る訳が無いので、次善三善の候補者に投票するしか術は有りません。民主主義は一名忍耐主義とも謂われるのであって、革命に依らない政体としては、民衆も賢明で在る必要が有ります。
 戦後に一時著しく増えた「子供を産まない主義」も此棄権者と同じ論理で、今の世には故障が多く、そんな所に子供を産み出すのは犯罪だと云う人が居ますが、古来、どんな世で在ろうと子供が産み続けられたからこそ今の文明が有ります。例外は有っても、男女が有れば子孫が続くのが自然であって、其れを否定するのは私の感覚では卑怯其物です。