国旗・国歌
国旗及び国歌に関する法律は敗戦から54年後の平成11年8月13日に公布・即日施行されました。
五輪で勝負が決まると、3番目の人迄が壇上に上がり、夫々の国籍に従って、国旗が掲揚され、国歌が演奏されます。
米国では、記念日でなくとも、国旗を軒先等に掲げる家も有りますね。
日本では、戦後、事情が有って記念日にも国旗を掲げない家が多くなりましたが、戦時中の様に、記念日に国旗を掲げないと、隣組の役員が怒鳴り込んで来るといった傾向も如何かと思います。
国旗と国歌に対する敬意は、近代国家では非常に尊重されます。近代国家の筈ですが、そんな態度を知らず、愚弄する人も居る様ですね。自国内でそんな態度を示す人を目撃するのは目の汚(けが)れに感じます。
Sさんの満州回顧 アスファルト
B.C.3000頃のエジプトで木乃伊の防腐剤にも使われました。
バベルの塔建設にも使われたらしい。
日本では縄文時代後期後半から晩期にかけて、日本海側の秋田県や山形県、新潟県などで産出した天然アスファルトを熱して石鏃(せきぞく:石の矢じり)や骨銛(こつせん:骨の銛=もり)など漁具の接着、縄文後期の秋田県横手市・八木遺跡の事例として網漁に用いる石錘と漁網の接着、破損した土器や土偶の補修、漆器の下塗りなどに利用されたものが出土しています。
日本でアスファルト舗装が施されたのは一般的には明治11 (1878) 年、東京神田昌平橋に舗装されたのが最初であるとされています。秋田県からはるばる運ばれた天然アスファルトでした。
Sさんの回顧談
昭和初年頃、私の住んでた新京市でも新市街地の道路は初期工法のアスファルト舗装でした。盛夏の折には表面が高温となって軟化、子供靴は歩き方のタイミングでピタリと接着し、不注意に足を上げるとスッポリと脱げたものです。そんな時のアスファルトは子供の指でも毟れる程に軟らかく、毟り取って粘土細工の様にして遊びました。指に付いたアスファルトが石鹸で洗っても仲々落ちなくて往生しましたね。