Sさんの満州回顧  新京の気候等

 新京の夏冬は暑いし寒いし四季を通じて総体に湿度が低い。夏も冬も35℃に成る。夏は幾ら暑くても木陰に入れば汗が急に引いて寒さを感じる位に湿度が低い。木陰から急に日向に出ると頭に直射日光がガンと来る。冬の最中には外で一寸急な呼吸をすると鼻の穴の毛が凍り付く。
 秋の終わりに降り始めた雪は翌春迄全く溶けずに積もり、道路は真っ白く鏡の様にツルツルに成り、古い爼の下に2本のスピード・スケートの刃を付けて橇にして遊んでも殆ど凹まず、刃の跡が僅かに付く程に堅かった。
 こんな道路を能く冬場に自動車が走ったものだ。尤も当時の車は割に緩り走っていた様で夏場には子供の私でも時にはトラックに追いついて掴まって走った事もある。今と違って何しろクルマを見る事は珍しく、音を聞くなり、来るとから見えなくなる迄見送ったものだ。当時の軍隊のオートバイは「メグロ」と言い、米国のハーレー・ダビッドソンを模した国産車だったと記憶して居るが、帰国してから此メグロにお目に掛かって大いに懐かしかった。メグロにはバック・ギアが付いて居たと思うが別な車種だったかも知れない。日産は満州や他の占領地にトラックを納入して儲けた筈だが記憶違いだったら御免なさい
 ノッキング防止の鉛化合物の所為か如何か知らないが排気ガスの甘い匂いを覚えている。今のガソリン車の排気ガスの匂いは刺激臭が強すぎて楽しくはない。
 道路はと言えば当時のロードローラーは蒸気機関で動いて居り大きな弾み車が特徴的だった。運転手や工夫は何時も満人だった。英国では之に似た作りの完動蒸気自動車の大会が有る。ガソリン車よりは「持てる者」の優越感を刺激するだろう。
 舗装技術は当然乍ら今よりは低く夏にはアスファルトが軟らかく成り靴の跡が付いたり酷い時には靴を取られたりした。道路工事で、熱したコールタールを砂利の上に噴射している近所を通るとタールの匂いがきつかった。
 雪は飽く迄細かく、ふわふわと軽く、腰の辺り迄降り積もっても歩行に何の障害も無かった。今で言うアスピリン・スノーである。有名な六角の結晶は秋の降り初めと春の降り終わりの時期にしか見られなかった。
 真冬の戸外は全く水気が無いからロシア式だか蒙古式だかのフェルト製の長靴を履いたが、あんなに暖かい靴は今でも他にお目に掛かっていない。此靴は水には滅法弱く、或春に不注意で水溜まりに踏み入れて台無しにして仕舞った。水溜まりに踏み入れると溶けるのだ!