お襁褓替え

 女児のお襁褓替えを男性保育士がするのに、賛否両論が有り、ネットが炎上状態とのニュースを見ました。
 相当前ですが、外国で、老人が児童ポルノを所有しているとのタレコミが有り、ケーサツが調べたら、幼児の水遊びを記録したものと判明、老人の冤罪が晴れたというニュースが有りました。
 昨年夏の相模原障害者施設殺傷事件は日本中に衝撃を与えました。
 要は、男性保育士の人間を如何観るかに掛かっているでしょう。どんな人でも、性善説から見るか、性悪説(ショーワルセツ)で見るかの問題です。他人の人物を常に疑惑の目で見るなら、社会の信用状態は崩壊します。難しい問題です。此男性保育士の職務に関しては、取り敢えず性善説で行くのが正当と思います。

 少し前ですが、或2児の母子家庭で、母親が病気で勤め先をクビになり、無収入になりました。それで役所の就職相談窓口を訪れたら、窓口の係員に「病気が治ってから、又いらっしゃい」と言われました。幾ら担当外(?)としても、せめて「福祉の窓口に相談したら如何ですか」くらいを言えないものでしょうか。

 

或大学

 全15回(前期)の授業内容は「授業の進め方」で始まり、第2回は「アルファベットの書き方・読み方」、第3回が「辞書の構成・辞書の使い方」……。そして第10回目に漸く「be動詞」を学ぶ。
 数学では、「小数の計算 分数の計算」、「円の面積」……。
 ネット掲示板等では「中学に入り直した方が良い」「文科省は大学免許を取り消せ」等と批判の嵐。大手予備校に依れば同大の偏差値は40なのに「もはや測定不能」……。
http://news.livedoor.com/article/detail/5931300/

という意見の一方で、こんな意見も。

週刊ダイヤモンド』(2011.12.10号)の日本橋学館大学学長インタビュー

    「本学の『基礎力リテラシー』のようなリメディアル教育は現在、公表されていないだけで、難関校を含めた殆どの大学で行われている。(中略)本学は、授業の詳細を敢えて公にしている。現実の学生と向き合い、リメディアル教育(註:学力の不足する大学生に対する補習教育)に真正面から取り組む姿勢が本学の特色であり、生き残るための術だと考えるから」

 実際、そうやって手取り足取り教えつつ、国立大の大学院に進学するまでに伸ばしている。日本語の読み書きができない生徒というのは、要するに義務教育が見捨てた若者たちのことだ。小学、中学、高校と、社会が見捨て続けた人間を、「なんとかして、いっぱしの社会人にしてやろう」と泥臭いシラバスを作って公開する大学は、もうそれだけで偉いと思う。
 「公教育への介入拒否」を旗印に一切の自助努力を放棄し続ける教職員労組などは、爪の垢を煎じて飲めと言いたい。
 有名大出身であっても、「4年間しっかり勉強しました」と胸を張って言える人間が、今の社会にどれだけ居るか。単に受験時のボーナスの残りで、偉そうにしてるだけなんじゃないか?
 どうして、初等教育内容もおぼつかないような大学生が生まれてしまったのか。なぜ、日本の大学生は勉強せず、企業も大学もそれを求めて来なかったのか。みんなが知っていながら見ないふりを決め込む中で、正面から問題に取り組んでいる人達には、心からエールを送りたいと思う。
http://news.livedoor.com/article/detail/6117680/

Sさんの満州回顧 郊外の牧場

 何時だったか父と郊外の牧場に散歩に行った。何処を如何歩いたかは覚えていない。街の中と違って緑の匂いの強かった事が印象深かった。
 当時の牛乳は瓶入りで配達されるのが普通だった。相当に高価だったのでウチでは取っていなかった。戦後に数人の作家が経験を述懐して居る様な、宅配牛乳泥棒の話は聞いた事が無い。
 牧場では青草の上に転がって昼寝をした。牛の姿はまばらで、こんなに少ない牛で如何遣って沢山の牛乳を集めるのかと不審だった記憶が有る。
 父が、私の年齢で1里歩いたのは偉いと褒めた。私は走るのが苦手だが歩くのは得意だ。高校時代のマラソンでは苦しいのを我慢出来ても脚が上がらなく成るのでコースの半分は歩くのが普通だったが遠足では最後迄トップクラスで歩いた。
 当時の満州には勿論、コンビニ等と言うconvenientな物は無かったので飲食物は水筒に入れた番茶と若干の菓子とお握り持参だった。幼稚園や小学校の遠足では海苔で巻いた握り飯、卵の厚焼き、バナナ、チョコが大抵の子供の定番だった。執れも当時としては一寸した贅沢だったのである。

 

Fラン大学

 Fラン大学とは、昔、大宅壮一名付けた所の「駅弁大学」。
 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12147552732
に依ると、268校で、http://www001.upp.so-net.ne.jp/syutokenkouritu/rankf.htmに依ると、Fラン扱いされる可能性の私立大学が420校有ります。

 潰せとの理由は、http://college2ch.blomaga.jp/articles/123805.htmlに依れば、◉補助金の無駄、◉行く事自体が恥ずかしい、◉研究機関として価値が無い、◉職業高校・専門学校に駆逐して頂きたい、◉親の見栄と学校屋の利益と本人の怠惰の賜物、◉時間ドブ、◉教養数学でも三角関数から教える我が大学、◉友人が通ってる大学でアルファベットを教えてるらしい、◉就職なんて高卒以下の派遣しか決まらない、◉進んだ時点でその先の人生の八割が無駄になる、◉卒業後は誰かがしないといけない3Kの底辺職を担うこととなる、◉真面目な奴ならFランって選択肢が存在しない・・・
 散々ですね。私は高卒なので、大学の価値判断をする資格が有りません。

 

安楽死と尊厳死

安楽死 苦痛を取り除く処置を行ったら生命の短縮(寿命の短縮)が起こってしまった、から、苦痛から解放させるため死に至らしめる、まで幅が有ります。

尊厳死 回復の見込みがない病態となった患者が「末期」の状態に至った際、患者自らの意思に基づいて、自然死を遂げること。厳密な定義は実際のところかなり曖昧。

日本では
両方共法的には認められていませんが、可能な手段の妥当性と、患者の生前意思の有り様を巡って議論が盛んです。
大昔、担当医師が生還見込みが無い患者の心拍が弱って来た時、将来の遺族が枕辺に集まる迄カンフル注射を続け、遺族の了解を確認出来た所で注射を中止「共々に」臨終を受け入れたという伝説も有ります。

 

長寿遺伝子

 サーチュインが長寿に影響していると発見・発表したLeonard P. Guarenteさんは研究者として立派です。自分の実験方法のミスによって導かれた結果について素直に認めているのです。
 抑々、餌を制限すると寿命が延びる現象に対しては否定的な研究も出ていませんので、食事と寿命はなにがしかの関連があるのは間違いありません。でも、サーチュイン遺伝子のスイッチをオンして長生きしよう、という理論は実は世界的には既に過去のものとなっていることをお忘れなく。

 追記 最近、やっぱりカロリーを制限するとサーチュイン遺伝子が関連して長生きになる、との論文も出てきています。人でもカロリー制限をすると体の中で炎症マーカーが低下して、この減少はサーチュイン遺伝子の活性化によるものと考えられています(Biochim Biophys Acta 2013; 1830: 4820-4827)。症例数が少ない、調査期間が短いとの指摘もありますが、SIRT1遺伝子の研究は多くの方の望む健康で長生きを可能にするかも知れません。STAP細胞ではありませんが、一つの説が否定されても、しつこく違ったアプローチで可能性を追求するのが科学者の宿命です。
http://www.gohongi-beauty.jp/blog/?p=12940 2016年6月1日
(「サーチュイン遺伝子」は、長寿遺伝子または長生き遺伝子、抗老化遺伝子とも呼ばれ、その活性化により生物の寿命が延びるとされる)(Wikipedia)。

 

寝たきり

 ストックホルム近郊の病院や老人介護施設には、寝たきり老人も胃瘻の患者もゼロ。
終末期を迎えたら、口から食べられなくなるのは当たり前で、胃瘻や点滴などの人工栄養で延命を図ることは非倫理的。口から食べられなくなったら「延命処置は一切希望しない」を書面にして、子供達にも、その旨しっかり伝えよう。

 延命処置で病気を作り、返って患者を苦しる日本の現状は可怪しい。日本も昔はスウェーデンと同じで、食べられなくなった高齢者はリンゴの搾り汁を口に含む程度で、家で穏やかに亡くなった。昔の日本の終末期医療は、今のスウェーデンやオーストラリアと同じだった。延命処置をする時間や人が有ったら、緩和医療に割くのが本当だ。
https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20120620-OYTEW61295/

 日本での代表的意見と思えるもの
どんな理由だろうと長生きして欲しい。そんな優しさから。
病院のために延命してるだけだって皆認識してる。