御田植祭


 日本最古の神社と伝わる奈良県桜井市三輪の大神(おおみわ)神社で2017年6月25日、「御田植祭(おたうえさい)」が行われた。雨の降りしきる中、崇敬団体「豊年講」の農家の男女11人が菅笠(すげがさ)に白装束姿で神饌田(しんせんでん)に苗を植えた。
 大神神社は国造りの神様・大物主大神(おおものぬしのおおかみ)をご祭神とし、古事記日本書紀に、創祀にまつわる伝承が記されているという。
 同神社では戦前まであった神饌田を平成2年に復活させ、毎年秋の豊作などを願って同祭を行っている。
 この日は祝詞(のりと)があげられた後、男女が横一列に並び、太鼓を合図に一斉に苗を植えていった。植えられた苗は100kg程度の収穫が見込め、神前に供えられる。
 豊年講の講元(会長)を務める奈良県宇陀(うだ)市の農業、吉岡秀義さん(72)は「無事終えることができてよかった。今年は風通しをよくするため、稲と稲の間隔を広く開けた。豊年を願っています」と話した。
http://www.sankei.com/west/news/170626/wst1706260012-n1.html

古代米
  赤米
玄米の色が赤褐色で、果皮・種皮の部分にタンニン系の赤色系色素を含んだ米です。五分づきにするとピンク色になり、普通に精米すると白米になります。野生型稲の多くは、赤米だそうです。「お赤飯」のルーツも赤米だとか。おめでたい席、お祝いの席にふさわしいお米ではないでしょうか。

  紫米(黒米)
玄米の色が黒色に近く、5分づきにすると黒紫色になります。この黒紫色は、赤ワインで話題になったアントシアン系の色素によるもので、血管を保護して動脈硬化を予防し、発ガンの抑制に関係する抗酸化作用があると言われています。その他、たんぱく質・ビタミンB1・B2・ナイアシン・ビタミンE・鉄・カルシウム・マグネシウムなどが豊富に含まれており、中国では、薬膳料理として古くから利用されてきました。白米に混ぜて炊くと紫色に炊き上がります。健康食・美容食として話題のお米です。
http://e-farm.atori.net/topics/rice.html

自宅難民

自宅難民さんの「無い無い尽くし」

「自分の趣味を楽しむ時間が無い」「1人になれる時間・場所が無い」「見たい番組が見られない」「妻や子どもが五月蝿い」「帰宅しても夕飯が無い」

「自宅に居場所が無い」人の娯楽
「インターネット」「テレビ番組視聴」「録画した番組の視聴」「DVDなどによる音楽・映画鑑賞」

詳しくは http://release.center.jp/2010/05/1702.html まで
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としましたが、何時の間にか閉鎖されていました。

始まりから年月が経って久し振りにチェックすると止まっているブログが幾つも有ります。一番印象に残っているのが「秘書のつぶやき」で、2011.08.22.の263回目を最後に突如途切れました。未だ (http://melma.com/backnumber_14537/) に2011.08.22.の263回目が残っています。

海外留学


 10年前は6割以上が、「積極的、もしくはできれば海外で働きたい」だったのが、2013年には「めっちゃ行きたい!」人が3割、「まぁ行けたらいいよねー」が1割ちょっと、「いや、俺はいいわ」ってのが6割。
 文部科学省の調査では2010年の日本人の海外留学者数は5万8060人と、ピークの04年より30.0%も減った。特に米国への留学生数の落ち込みが大きい。
 「英語力、家庭の経済状況、帰国後の就職不安」を理由に、多くが諦めるそうだ。
 「奨学金という名の借金を背負っている学生が多すぎ」るのと、「新卒・既卒3年縛りがあるから動きづらい」
 うちの大学は「海外留学を応援します☆」とか言ってるくせに、4年の夏に帰国したとき、「留学中の単位認定は3,4ヶ月かかるので、単位を取れてないことを前提に履修してください」とか言われましたしね。4年後期で在学留学だったのに鬼畜すぎ。
 リスクの割に、リターンが「自己満足」くらいなもの。若者が内向きになったんじゃなくて、現実見てるだけ。
 海外に飛び出すことは確かに人生で大きな糧になるでしょう。あくまで個人の自由。行きたければ行けばいい、行きたくなければ行く必要はないです。他人の言うことはムシでいきましょう。
http://www.amamiyashion.com/entry/1951144 ( 2016.03.17. 自称日➜独逃亡者)

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2017年08月19日付けのニューズウィーク日本版では「20代前半の若者の経験率も、この20年間で16.4%から12.9%に下がっている。このような変化を指して、国民(若者)の「海外離れ」などと言われている」とあります。
直近では米国への留学生数が随分落ち込み、代わって、中国からの留学生数がメッチャ多く成ったと一寸前のニュースに有りましたが、トランプの対中国政策の激変が何らかの変化を齎すのでしょうか。

ウソを見抜く

フォーブスでは、元CIA捜査官が書いた本の中で、ウソを見抜くやり方を紹介していました。

もし相手が本当に潔白であれば、大抵は会話の最初にはっきりとした言葉で「罪を犯していない」と否定すると言っています。実際には、質問をしてから5秒以内に、此最も重要な手掛かりを口にします。

著者のHoustonさんは、CIAの訓練施設である「The Farm」で、財布の中から40ドルがなくなったという報告があり、現場へ向かいました。実際にはお金を取っていないのに疑われた人は、即座に「お金は取っていません。誰がやったのかも分かりません」とだけ言ったのに対して、犯人はHoustonさんを車が沢山停まっている駐車場に連れて行き、自分の車のトランクに聖書が沢山詰まっているのを見せたので、それで分かったのだそうです。

私たちは、会話の中からウソを見抜こうと考え勝ちですが、話が込み入って来ると見抜くのは益々難しくなります。ウソを吐いているのではないか、と疑っている相手が居る場合は、相手が最初にどんな言動をするかに注目した方が良いという事です。

恐らく、上手なウソ吐き(若しくは、この記事を読んだウソ吐き)は、更に巧妙な手口を使って来る事と思います。過去記事「嘘を見破るには、巧妙な嘘つきの10の特徴を知ろう」(http://www.lifehacker.jp/2010/06/100601howtobealiar.html)を読んで、更に相手のウソを追求するべく用心しておくのが良いでしょう。
http://news.livedoor.com/article/detail/6876411/ から

代用魚

代用魚
色々と拾いました

アマダイ⬅︎キングクリップ
イワシ⬅︎スプラット、ピルチャード
ウナギ⬅︎ヨーロッパウナギ
カワハギ⬅︎ウマヅラハギ
カンパチ⬅︎スギ(クロカンパチ)、シイラ
クエ⬅︎アブラボウズ、マゼランアイナメ
サケ⬅︎カラフトマス(ピンクサーモン、オホーツクサーモン)
シシャモ⬅︎カラフトシシャモ、キュウリウオ
スケトウダラ⬅︎ホキ、メルルーサ
スズキ⬅︎ナイルパーチ
マダイ⬅︎ティラピア(イズミダイ、チカダイ)
タラ⬅︎ギンダラ(ナミアラ、ホクヨウムツ)
ヒラメ⬅︎アカガレイ、カラスガレイ
フグ⬅︎カワハギ、ウマヅラハギ
ブリ、メダイ⬅︎シルバー、シルバーフィッシュ、オキメダイ
マアナゴ⬅︎マルアナゴ、クロアナゴ、ウミヘビ数種
マグロ⬅︎カジキ、アカマンボウ、アロツナス、ガストロ

他に貝類の代用品、甲殻類の代用品多数

忌み数


❮4❯ いち、に、さん…は漢字の古い発音から。4は「死」に通じるので、日本のホテルでは1014等も欠番。

❮6❯ ヨハネ黙示録13章18節には、666が獣の数字として記されているので、欧州では不吉数。

❮9❯ 「苦」に通じるので日本では忌み数とされる事も。漢字文化圏でも北京・朝鮮では発音が異なるので其受け取りは無い。

❮13❯ 13番目の弟子がイエスを売り、磔刑の日が金曜日というのは俗説で「13日の金曜日」は英語圏と独、仏等に限られるが、仏では何故か宝籤の売上が上昇する。伊では「17日の金曜日」であり、スペイン語圏では「13日の火曜日」。「13」が忌み数とされるのは、どうやら、素数なのが原因ではないかと。

❮17❯ ローマ数字で書くと XVII となり、これを並べ替えると VIXI となる。ラテン語で vīxī は、vīvō 「私は生きている」の直説法完了形にあたり、「私は生きることを終えた(私は死んでいる)」という意味になるから伊では広く忌み数とされる事が有る。

他にも沢山有ります。(Wikipedia)

最後のニシン

江差の5月は…
http://www.hokkaido-esashi.jp/modules/sightseeing/content0061.html
最後のニシン

長い間、江差の経済を支えていたニシンも時代が下るにつれ、次第に捕れなくなっていきました。こうなると禁止された大網を使って漁獲量の増大を狙うものもでます。大網の使用がニシンを枯渇させる原因と考える漁民は藩に何度も大網禁止を訴えますが、なかなか守られません。
熊石から上ノ国までの漁民が大勢集まって、大網禁止を藩に直訴する騒ぎや江差地方の漁民が、岩内、古平などの海に出かけ、次々と大網を切る網切り騒ぎも起こりました。明治になると、ニシンの漁獲はいよいよ減り、漁民の暮らしは苦しくなる一方で、このことが檜山騒動を大きくした背景となりました。
長い間、江差の経済を支えてきた近江商人たちも、ニシン漁がふるわなくなると、本拠地である本州へ引き上げていきました。一方、日本最初の開港地となった函館は、北海道開発の拠点として発展を続け、江差から函館へ移っていく商家も多数ありました。
一方、まだ資力あった漁民たちはニシン漁のあった北へ北へと移動を始めました。北に行く資力のない漁民たちは、生活のために漁具を売り払い、出稼ぎに出るまで追いつめられたのです。
こうして江差の浜が無人の浜になろうとした明治41年4月3日。誰もがもう来ることはないだろうと考えていたニシンが、なんと10年ぶりに押し寄せました。しかし、この群来を前にして、江差の浜には漁民がおらず、いても漁具が無く、ただ地団駄を踏みつつ巨万の富が去るのを眺めるしかなかったといいます。
その後、大正2年にもう一度ニシンが姿を見せた後、現在に至るまで、ニシンは完全に幻の魚になってしまいました。

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〒043-8560 北海道檜山郡江差町字中歌町193-1
江差町役場 追分観光課 観光係
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