コロンブスの卵

 デジタル大辞典に依れば《大陸発見は誰にでも出来ると評されたコロンブスが、卵を立てる事を試みさせ、一人も出来なかった後に卵の尻を潰して立てて見せたという逸話から》誰でも出来そうな事でも、最初に行うことはむずかしいという事。 と在り、扱いは「教訓」でしょうね。
 例の爺さんは斯うした教訓が大嫌いで「コロンブスの卵」にもケチを付けます。
 コロンブスが、卵を立てることを試みさせたのは故意か偶然か、多くの人は卵に手を加えないでの実行が困難なのを見越しての提案である、とします。
 論理を組み立てるには言葉遣いに能く能く気を付け、言葉の意味範囲・習慣・環境に留意しないと飛んでもない結論が導かれるのです。例えば
 母親が幼女に「バーカ」と言って頭を軽く叩くのは、日本人なら微笑ましい光景としか受け取れません。然し、例えばネパールでは子供の頭の上には神が宿るとされているので、頭に手を置いたり、撫でてはいけないのです。国に依って、手真似言語の「此方へどうぞ」が「彼方へ行きなさい」となる例は余りにも有名ですよね。

 卵に手を加えないでも立てられる話は中谷宇吉郎の昔から知られています。
http://www.gotoh.com/hanada/syorinji/TAMAGO.htm