岸壁の母

 エピソードの多い唄ですが、知ってる人は今、何人位居るんだろう、と、例の爺さんの知人満州引揚者であるSさんの感想です。

 Sさんは、敗戦の8月15日には満州国錦州市に居ました。国民学校生徒(小学生)だったので何も解りませんでした。日本へ引き揚げる為と一旦奉天(今の瀋陽市)に行き、朝日街の篤志家の家に居候し、翌年6月22日に錦州市へ戻り、葫蘆島(コロトウ)という港から千トン未満と思われる海防艦という船に4日ばかり乗り、博多に着きました。
 引揚者はリュック1つが財産で所持金も有りませんでしたが、第一目的地迄は交通機関が無料だったと記憶しているそうです。途中広島駅で汽車が止まりましたが、見渡す限り一面に廃墟以外に何も無く、プラットホームだけの駅で、家の影も無いのに駅が有るのを不思議に感じたとか。