ルルドの奇跡 (Wikipediaより)

 1912年に、組織培養法と新しい血管縫合術および臓器移植法の考案などの功績により、フランスで最初のノーベル生理・医学賞を受賞した、当時39歳のアレタシー・カレル医師が居る。

 1902年、ルルドへの巡礼団随行医師・29歳のリヨン大学医学部解剖学助手アレタシー・カレルが乗った列車に結核性の腹膜炎を起こして死に掛かっていたマリー・フエランという若い女性がいた。手術は出来ず、モルヒネ注射だけで痛みを抑えていた。しかし、彼女はルルドへの巡礼を希望したのだ。大きく腫れた腹は熱く、唇は紫色で、カレルには、彼女がいつ死んでも可怪しくないと思われた。 マリーは車中で人事不省になり、駆けつけたカレルに「私はもうルルドまで行けないでしょうね」と呻くように言った。ルルドに着いたマリーは「七つの悲しみの聖母病院」に収容された。
 マリーの病状はさらに悪くなった。だが、彼女は水浴場へ行きたいと言う。水浴場では、係の女性が全身浴ではなくて、腫れた腹に水を数滴振り掛けただけだった。突然、彼女の顔に変化が現れた。顔の蒼白い色が消えた。カレルは幻覚だと思った。マリー・フエランの目は輝き、恍惚として洞窟の方を見ていた。マリーの腹の辺りで毛布の膨らみが少しずつ小さくなっていき、間も無く平らになった。カレルはマリーに近づき、呼吸を診て、脈をとった。マリーの脈拍は非常に速かったが、規則的だった。介護の女性がカップ一杯のミルクを持ってくると、マリーは飲み干した。
 その日の夕方、カレルはマリーの元を訪れた。彼女は輝く目をしてベッドの上に座っていた。「先生、私は完全に治りました」と言った。彼は、彼女を診察した。脈は全く正常、腹は白くて平らで、あちこちにあった痼りは丸で夢のように消え去っていた。

 ミシガン州立大学で家庭医療と哲学の教授をしているハワード・ブロディに依れば、ルルドは、プラシーボ効果が最も起こりやすい場所と云え、宗教がプラシーボ効果を利用する仕組みを持っているという事でもあると。