Sさんの満州回顧 チェンビン屋


 ボイラー棟の直ぐ北奥の通りを一寸行った所に満人経営のチェンビン(煎餅)屋が有った。
 米でも、粟でも、唐黍でも、高粱でも、凡そ穀物の粉なら何でも、厚く円い鉄板の上で直径30センチ程の柔らかいクレープに焼き上げる。原料の穀物を持って行けば、予め作って在る練り粉から、持参の穀物量に相当する枚数のチェンビンを其場で焼いて呉れる。
 焼き上げた侭でも、何かタレを付けても美味いが、其れに一本の長葱を生の侭くるんで食べるとスタミナが付くと父親に聞かされた。
 クレープの元のトロリとした練り粉を竹蜻蛉様の道具で広げる手際が面白く飽かず眺めた。男の子が職人技や蜘蛛の巣張りに見入ったりする癖は女の子の神経では理解出来ない。之はボーヴォワールの主張には反するが歴然とした性差で、環境は余り関係無い。だから「虫愛ずる姫君」は珍しい存在なのだ。序で乍ら、ボーヴォワールの主張が全く正しいのなら、カルーセル・麻紀は誕生しない。私はカルーセル・麻紀は好きだが「おすぎとピーコ」と「エンヤコーラ」で売り出した歌手は嫌いだ。何故かは詮索して居ないので判らない。
 チェンビンの味としては稗が存外に美味い。江戸患いにも成り兼ねない白米信仰の輩は雑穀を馬鹿にするが炊き立ての雑穀は存外に風味の濃い旨味が有る。冷えるとボソボソして不味いのが欠点ではあるが。今ではチンすれば直ぐに温かく成るのだから雑穀の旨味や栄養を見直す可きである。蕎麦を始めとする今流行の各種雑穀が、荒れ地や天候不順に強い点は勿論だろう。日本の食糧自給率が40%で将来が心配だと言う論が有るが、日本中の捨てられた田圃や贅沢の象徴であるゴルフ場に雑穀を植えれば自給率は驚異的に上がる。紳士等稀にしか存在しない日本にゴルフ場は要らない。銀舎利は昔通りに「晴れ」の喰い物に還れば健康にも良いのだ。2000年に成ってから若者の間で「素食」が流行り出した。米国型飽食の弊害に本能的に気付いた事も有るのかも知れないが、ブームに終わらなければ未だ未だ日本人の危機察知能力は捨てたものではない。只、余りに「素食」が流行ると、現在は雑穀の産出量が少ないから高値になる矛盾も生じ兼ねない。
 今でも味を付けない餅では粟餅が一番好きだ。之は奉天での経験が原因かも知れない。
 日本でも一頃西洋伝来のクレープが流行って直ぐに廃れ、一頃よりはクレープ屋も少なくなったが、支那では千年単位の昔から優れた庶民の雑穀調理法として連綿と今に続いている。鼓腹撃壌の哲学とか、銭は信じるが政府とインテリは信じない風土とか、支那には歴史の裏打ちの有る優れた伝統も有るから馬鹿にしたものではない。