グローバリズム

 20世紀末から喧伝されて居るグローバリズムとは畢竟ずるに汎アメリカ主義の宣伝に他ならない。米国の云う自由主義は米国流の其れであり、自国の保護政策には頬被りをし他国の保護政策には重箱の隅をほじくるが如く大声で非難して止まない。欧州は其危険性に気付いて反撃を試みて居るが日本政府は鈍感でノホホンを決め込んで居る。
 又序で乍らちょいと飛ぶが、日清・日露の戦いで戦死した日清露の兵士も大東亜戦争ベトナムで戦死した兵士等も同じく名誉の戦死である。勝ち負けで、戦死した兵士の至情に変わりは無い。有るとするのは戦勝国の独善である。靖国神社は一種西欧流の宗教を超えた存在だが其処の阿吽は毛唐やハイカラ野郎には判らない。
 大東亜戦争中は日本基督教団が戦争協力に動いたので、基督教徒の戦死者も靖国神社に合祀された。戦後に基督教徒が靖国への合祀は怪しからんと抗議したが、之は別に大声を上げる程の事件ではなく、単に基督教徒の分を移柱すれば良い丈の話だったのである。
 日本でも大東亜戦争に付随して基督教徒を中心とする反戦運動が有ったが、直ぐに官憲に潰された。私は全く読んで居ないので中身も知らないが、(例の爺さんの声 : そりゃ無責任じゃろ)三浦綾子の「銃口」には其辺りの消息か、似た様な事例が含まれて居るに違い無い。「銃口」と在るが、之は「踏み絵」と読み替えても通ずる言葉であり、統制国家の官憲に抵抗する側の恐怖も今の若者には判るまい。天草四郎の叛乱にロマンを感じるのは自由だが、其実際の残酷をも想像出来なければ、モノが判るとは云えない。