北里柴三郎

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名前:北里柴三郎(きたさと しばさぶろう)
出身地:肥後国阿蘇郡(現・熊本県阿蘇郡
生誕:1853年1月19日
死没:1931年6月13日
享年:79歳 (脳溢血)
時代:江戸時代~昭和時代

なぜノーベル賞をもらえなかった?

北里柴三郎は、1889年に世界初の「破傷風菌純粋培養法」を発見。翌1890年には「破傷風菌の抗毒体」を発見しました。また血清療法を確立し、感染症を予防するという点にポイントを置きました。その血清療法を応用したのがドイツ人医師・ベーリングとのジフテリアの血清療法でした。元々血清療法を確立していた柴三郎は、協力者として連名で論文を発表し、第1回ノーベル生理学・医学賞の候補者なったのです。然し、実際に受賞したのはベーリングだけでした。

柴三郎が候補者となったのに、受賞できなかった理由には諸説あって、

・連名での論文発表により柴三郎は補助的なパートナーとみなされた・当時、共同受賞というシステムがなかった・有色人種・アジア人への偏見—が、あります。

いずれにしても、柴三郎が受賞できなかった事は残念です。でも、相方のベーリングは受賞後に、「全ては北里のおかげ」とも話していて、柴三郎の功績は世界に知られる事となりました。残念だけど、素敵なエピソードです。

北里柴三郎は、病気の患者を治すことは勿論、病気を防ぐ予防医学に大きな力を注ぎました。また日本医学界をリードし、レベルアップさせました。

血清療法により感染症だらけだった世界から人類を救ってくれた偉大な人物です。